先日の『私が努力を認めたくない理由』というエントリーに、私も通りすがりですがさんから【投資は、努力しても「平均」を狙うんですよね。】とコメントをいただきました。

これを見て、何故証券投資でα(超過リターン)を追求する努力をしないのかをしっかり書いてこなかったことに気づかされました。
そこで、私が何故証券投資の世界でαを狙う努力をしないのかを書いてみます。

その根底には「自分でコントロール可能に注力すべき」という考え方があります。管理可能なものにはいろいろな手を打ちますが、自分の範疇を超えているものにあれこれ手を打とうとしても無駄ですので、手を抜くかあきらめます。

例えば、新ITシステム導入のプロジェクトマネージャだとします。
無事にシステムを導入するためにステークホルダーマネージメントをしてUser RequirementをコントロールするのはPMの責任範疇でできますしプロジェクトを成功させるのに効果的です。しかし、「会社が買収されてトップダウンで買収先の企業のシステムに統一されることが決まって担当プロジェクトがボツになる」ことはコントロールできません。PMはそういうことに関しては労力を割くべきではありません。PMがプロジェクト発足時に将来的に企業買収が起こって相手側の経営陣のトップダウンの一言でプロジェクトが止まることに対応するために買収防衛策に苦心しだしたら、その人はPM失格です。

投資における努力も「PMの企業買収対抗」に近いと感じています。努力がリターンの向上に繋がるならば努力する意義があります。しかし、努力することでリターンは向上するのでしょうか?
パッシブ派が拠り所とする、「プロの一端であるアクティブファンドのファンドマネージャでさえインデックスを上回れない」「プロ達や努力しているセミプロの集まった場が市場であり、努力だけではその平均は上回れない」という話はかなりの説得力があります。何年も優秀な成績をたたき出してきた著名投資家が急にパフォーマンスが悪くなることもよくあるという話も聞きます。投資成果が運でなく実力だということを証明するには何十年もかかるという話も聞きます。

確かに、
アクティブ全体でのパフォーマンスはインデックスに収斂しますが、その中で努力して勝ち組になれるかもしれません・・・
アクティブファンドのファンドマネージャはボンクラなのかもしれません・・・
ファンドという構造が投資を不利にさせているのかもしれません・・・
このような可能性は否定し切れません。

しかし、「努力がαを生み出す」が真である可能性が高いとは思えないのです。私が想定する「努力でαが得られる説が真実である可能性×努力でコントロール可能だった場合のα」はかなり低いのです。

そのように考えた時、私がそこに労力を振り向けるかというと、他の事を優先します。
ベンチャーを起業して自社株を持っているならば、自分の努力が保有株式の価値を高めることができるので努力もします。しかし、証券投資においては・・・α追求のためへ努力する気になれないのです。