吊られた男の投資ブログ (インデックス投資)

投資信託を使った低コストインデックス投資/パッシブ投資(バイ&ホールドの国際分散投資)で資産形成を行っている一般サラリーマンの吊られた男が、主に投資やお金のことについて語るブログ。時々、投資やお金以外の話もします。



政治

甘利経済財政・再生相のヤバイ発言(株価大事、株価は俺が操作する)

甘利経財相「乱気流に突入した機長のよう」 株価乱高下で (日経新聞)
 甘利明経済財政・再生相は28日の閣議後の記者会見で株価の乱高下について、「一時的に乱気流に突入した機長のような心境だ」と述べた。海外の市場が落ち着いていることから「日本の市場も間もなく落ち着く」との見通しを語った。

 投資家に対しては、「航行上、当機の安全に問題はない。間もなく乱気流を抜ける予定だ。落ち着いて席に着いてほしい」と冷静な対応を呼びかけた。


甘利氏、ヤバイです。


●株価で一喜一憂の株価主義がヤバい
まず、株価が上下することに対して積極的に閣僚(特に経済財政・再生相)が発言しては筋が良くありません。
むしろ、株価の短期的な上下については「株価は短期的にぶれるもの。GDPなどを見ても実体経済は順調に回復基調である」くらいに無視するべきではないか。


●「経済財政・再生相=株価の機長」がヤバイ
こちら方がより問題だと考えています。
「一時的に乱気流に突入した機長のような心境だ」とありますが、機長とはその飛行機の操縦に対して非常に強い責任と権限を持つ存在です。
この言葉を甘利氏の発言に当てはめると、甘利明経済財政・再生相は株価の動きに対して強い責任と権限を持つ存在と言っているのと同義です。

経済財政・再生相、内閣が株価の値動きをコントロールする存在というのは非常に問題がある発言ではないでしょうか。 (「言葉のあや」という反論もあるかもしれませんが、潜在的にそういう意識があるからこそ出てくる発言のように思えます)







日銀に過剰な期待は禁物

週刊ダイヤモンド(ダイヤモンド・オンライン)に私の意見に近い主張をされている記事があったのでご紹介。

ようするに日銀に
●『日銀に“政治的判断”を押し付けるな』(ダイヤモンド・オンライン/池尾和人 慶應義塾大学教授)
●『日銀は「財政政策」に踏み込んだのか』(ダイヤモンド・オンライン/辻広雅文)

両者共に「世間が日銀に過剰な期待をしすぎ(責任を押し付けすぎ)」ということが根底にあります。これは私も同じ意見です。

日銀の役割は金融政策です。それ以上でもそれ以下でもありません。

以下は池尾氏の記事からの引用です。
芳しくない経済状況に対し、なんら有効な手が打たれないなかで、日銀がさらに積極的にあらゆる施策を打ち出せば事態を改善できる、という議論が強まっている。だが、国の大元にある経済運営の欠陥が引き起こしたマイナスを全部尻ぬぐいして日本経済を好転させるほどの能力は、日銀にない。
経済の実力を引き上げるのは、政治の仕事だ。その根本問題に向き合うことを避け、日銀をスケープゴートにするのは、政治が機能不全に陥っている証明であり、かつ責任逃れだ。(池尾氏)
日本は財政民主主義国家であり、中央銀行には財政政策の領域まで踏み込む権限は与えられていない。妥当性は、政治が責任を持って判断しなければならない。

 要するに、日銀の国債引き受けを禁じた財政法第五条にかかわる問題として、国会で議論すべき事項であるはずだ。まず政治が責任を持って判断を示すべきだ。それなのに、日銀に代わりに暗黙の政治的判断を求めるような政治のありようは、責任の放棄に過ぎる。(池尾氏)
──潜在成長率引き上げなどの本質論から目を逸らし、デフレ退治や日銀の責任で解決を図ろうとするストーリーはなぜ生まれるのか。

 政治家に限らず、私たちは、不都合な真実を見たくない。産業構造の転換が必要とわかっていても、それに伴う痛みは回避したい。
誰もがわかりやすい解決願望を満たすストーリーをつくり、本質的問題から目を逸らさせることが有用になる。デフレや日銀は、そのストーリーの格好のキーワードとなった。


次は辻広氏の記事からの引用です。
 国債はむろん、安全資産である。だが、ルールを越えて大量に保有すれば、後述するような歪みが発生する。つまり、伝統的金融政策の対象にも”異例の措置“がなされている。

 実は、この「国債買い入れの事実上のルール撤廃」と「リスク資産の買い取り」という二つの異例な措置は、政府が深く関わる問題である。
 税に絡むことは財政政策である。財政政策であるなら、政府が行うべきである。なぜなら、日本は憲法83条「国の財政を処理する権限は、国会の議決に基いて、これを行使しなければならない」という財政民主主義を採っているからだ。
当然、中央銀行が独立性のもとに財政政策を独断で行うのは、憲法83条に抵触する。では、むりやり財政政策ではなく金融政策の範囲内なのだと言い張って、リスク資産を大量に買い取り、その結果大失敗をし、前述したような財政支出が必要な事態にでもなれば、それこそ独立性など消し飛んでしまう。
冷静な指摘や合理性に則った議論は、この半年ほど、経済停滞する打開に向けて、日銀への批判と期待が一体となって高まるなかで、まったく省みられなかった。それどころか、日銀が積極的に考えうるすべての施策を打てば現状を改善できる、という議論ばかりが熱を帯びた。
 景気回復も、デフレ脱却も、長期金利の安定も、円高抑制も、株価引き上げも、雇用確保も――あらゆる目的が、金融緩和をすべき理由として挙げられた。政治は与野党ともに、非伝統的金融政策を強要せんばかりだった。強制手段としての日銀法改正が公然と語られた。そこには、中央銀行の独立性の尊重や政府と中銀の果たすべき役割の議論など望むべくもなかった。
 この「包括緩和」が、効果を挙げるかどうかはわからない。そもそも、中央銀行のバランスシートを急拡大させればインフレが高まる、という先進国の実証例はないのだし、デフレの主因は潜在成長率の低下にある、という見方はもはや多数派
 緊急対策だから仕方ない、あるいは、この程度であれば影響は小さい、という言い訳を重ね、既成事実を積み上げた結果、取り返しがつかない結果に至る――そんな失敗を、われわれは歴史上何度も経験してきたはずである。


100%枝葉の部分まで賛成とまでは言いませんが、私も池尾氏、辻広氏と同意見です。
(1)日本の経済成長率低下は日本の構造上の問題であり、これは金融政策では解決できない
(2)緊急対策の名の下に場当たり的に対応するのは国家の危機
(3)日銀に責任を押し付けるのはただの責任転嫁


(1)(3)については池尾氏、辻広氏が語られていますので、(2)について軽く補足します。

一見、緊急事態の対策として特例措置で対応することは正しそうに思えます。確かにこれ以上無いような緊急事態ではその通りでしょう。全てのルールをひっくり返しても緊急措置を取るべきかもしれません。
しかし、普段は違います。日本国家存亡の危機でしょうか?今緊急事態を取らないと日本国家がすぐに滅ぶような事態でしょうか?そうでもないのに簡単に緊急事態という言葉を使って特例を認めるのは危険です。
今は緊急事態だから総理大臣に国会審議を経ずに行動に起こせる特権を・・・
今は緊急事態だから自衛隊に自主判断で動ける特権を・・・
今は緊急事態だから日銀に・・・

このように大きめの問題が起こるたびに、その時々のルールを作って対応するのは巨大な国家という組織になった場合にはまず失敗します。硬直性があるせいでどのケースでも100%正解の答えが出せなかったとしてもです。
特例を使うことは一時的な対応として効果を上げても副作用があります。しかもかなり大きな副作用です。この点を議論せずに、「危機だ!何とかしろ!」はあまりにも危険な思想です。特にその特例を実施した時の効果に疑問符が付くならなおさらです。



最後に池尾氏の量的緩和に対する面白い表現がありましたので、それを引用して終わりにしたいと思います。
全体のおカネをさらに増やすと、動くおカネが増えるのか。量的緩和論者は、そうだと肯定する。だが、私はさらに死蔵されるおカネが増えるだけだと思う。これは、金融政策の効果における非対称性の問題で、「ひもは引くことはできるが、押すことはできない」というたとえが使われる。私は、「小さな子どもに窮屈な服を着せれば成長を阻害する可能性はあるが、ダブダブの服を着せたからといって成長を促進する可能性はない」というたとえを使っている。




そういえば子ども手当

世間でも話題から消え去ってしまっている感がある子ども手当。
制度が決まるまでは注目だが、いざ実行フェーズになると注目度が下がるのはマスコミもブログもお約束か。

児童手当もロクに確認していませんでしたが、6月の給与を確認するついでに給与振込口座の入出金を確認したら子ども手当が振り込まれていました。



これで再確認したことが1つ。

児童手当が子ども手当になっても、やっぱり子ども手当は子どものために使わないということです。
娘関係で食費、衣服代、保育料、おもちゃ代、日用品・・・といろいろお金は使います。しかし、子ども手当の有無は一切気にしていません。
子ども手当があるから1万3千円多くなることはありません。逆に子ども手当が無くなっても娘関係の支出が1万3千円減ることもありません。
今までの児童手当も同じでした。児童手当が無くても同じものを娘のものとして買っていたでしょう。

児童手当や子ども手当はどこにいくかというと、子ども以外の世帯の支出や貯蓄に回ります。

こういう家は多いのではないでしょうか?給与で考えてもそうでしょう。
不況で旦那の賞与が少し減ったところで子ども関係の出費をいきなりカットする家庭はそう多くないと思います。私立中学に通う娘の学費と小学生の息子の塾代は削らず、削るとしても先に旦那の飲み代や交遊費です。会社で子持ちの人と話をしても、「自分の趣味のお金を減らした」というような人が多く、子どもへの支出を減らすような人はそんなにいません。
子ども手当があろうが無かろうが、給与が多少減ろうが、子どものための支出はそうは変わらないという家は結構あるように思います。


このように児童手当/子ども手当は子どものために使うものではなく、子育て世帯がお金にゆとりを持てるようにする支援金という性格が強いように思います。
##中には、お金がギリギリで子ども手当のおかげで子ども
##関係の支出を増やせるという家もあるでしょうが


「子ども手当は子どもに使われないとおかしい」というロジックで批判する人がいましたが、彼らにとって、このような使い道は言語道断でしょうか。
今までは子どもの教育のために親父はカツカツの生活をしていたが、子ども手当のおかげで少し余裕が出て、たまにはビールが飲めるようになった家もあるかもしれません。この家は子ども手当は親父のビールに使われています。
「子ども手当を親父のアルコールに使うなんてけしからん!!子どもへ使う支出を増やしなさい」と言っているのでしょうか。

私は、子どものために飲み会も極力いかず、ランチは400円以下に抑えていたお父さんがいたら、子ども手当で少し家計が楽になった分で週末にエビスビールの1本くらい飲んでもいいように思います。

子育て世帯への支援金になるのはいいことでしょう。

子どもは欲しいが、生活が苦しくなるから子どもを持つことを敬遠する人達にとっては嬉しい話です。子ども手当に子育て環境の改善効果は期待できます。児童手当/子ども手当をロクに意識していない我が家でもその分は確実に収入になっており、それが貯蓄になって我が家の生活の豊かさ向上に貢献しています。


(金額や他制度などと絡めた財源の問題や優先順位には疑問点もありますが、)子どものために使われないこと自体は特に問題は無いと思います。



無闇に国会議員の報酬等を削減せよと言うべきではない

「無駄を削れというならまずは国会議員の報酬を削減しろ」
「国債を発行するぐらいなら国会議員の報酬を削減しろ」

日本では、上のような国会議員に払っている報酬などに批判が集まる傾向があるように感じます。

しかし、個人的には無闇に国会議員の報酬などを削減することには反対です。
ヒラの国会議員一人維持するため経費は年間で、歳費 、月給+ボーナスの概算で3080万円、立法調査費の名目で780万円、文書交通費として1200万円、三名の公設秘書の費用が概算で2300万円、と言う事は7360万円が最低の直接費として必要だ。
(盗人に追銭 国会議員の給料より)

国会議員1人当たり約7360万の報酬等が支払われているようです。


これが高いか?安いか?
個人的には高くないと考えています。

みんなの党が候補者選びを進めていた。立候補を打診された経済人などの間で動揺が走った。
 「持参金が3000万円いるらしい」
 同党の渡辺喜美代表にぶつけるとこんな答えが返ってきた。
 「みんなの党ぶがカネがないので、選挙費用は候補者の皆さんに自前でお願いしますと言っているんです。等に寄付しろと言っているわけではない」
 裏を返せば、3ヶ月余りの検挙運動に3000万円はかかる、ということだ。
 選挙戦も終盤近くになると、資金が枯渇。
<中略>
そんな時、党の実力者が陣中見舞いにやってくる。候補者ではなく「金庫番」に会い、紙袋を置いていく。当選後に実力者に頭が上がらなくなるのはこのためだ、と言われる。
 3年前の参院選の際、自民党の公募に応じた候補者がいた。小野崎耕平氏。当時37歳。決定した際に党本部の呼ばれて幹部と会った際、開口一番に言われたことを今でも忘れない。
 「おい、カネはいくらある。1億ぐらいもっているか」
 「ほとんどない」と答えると、幹部はうなった。「冗談だろう。選挙にはカネがかかるんだ。君のような人間には本来、応募する資格は無かった。」
<中略>
結局、党本部や県連がお膳立てした選挙運動に乗っかるしか術はなかった。
<中略>
 結果は、落選。事務所を閉めた後、選挙対策本部の事務担当者が請求書を持ってきた。「残ったこれだけは何とかしてください」。総額700万円―。
 妻と、6歳と2歳の子どもを抱え、電気代を払うメドも立たなくなった。支援者に頭を下げて借金した。
(日経ビジネス2010年6圧21日号の記事『参院選3000万円の常識』から)

選挙には金がかかります。でるだけなら数百万で済みますが、まともに選挙活動をやると3000万で上げるのもきついようです。

選挙だけではありません。

 参院議員として6年間の総収入を考えれば、選挙にカネをかけても十分取り戻せると書いた。だが、それは、当選後はほとんど何も活動しない場合の計算だ。
まじめに政治活動を行おうとすれば、一見潤沢に見える国からの収入だけでは、支出は賄えないのが実情だ。
 まず人件費。まじめに制作に取り組もうとすれば、スタッフが必要となる。公費で賄われる政策秘書、第1秘書、第2秘書の3人だけで、すべてをこなすのは難しい。政策通で知られる国会議員となると、10人近い秘書を抱えている。公費以外の7人を年俸500万円で雇っても年間3500万円の支出だ。
(日経ビジネス2010年6圧21日号の記事『参院選3000万円の常識』から)

この記事にあるように、政治をやらずに黙って報酬を貰い続けるなら儲かるのかもしれませんが、真面目に政治をやろうとするとお金がかかり、一見潤沢な今の水準では不足するくらいです。


無闇に報酬を下げるとどうなるか?
「1億円は持っているのか?」と言われるように大金を持っている人しか政治家になれなくなります。
志は立派でも金のない人は政治家になれません。金持ちに資金を頼ると、金を出す見返りに俺に有利な政策を進めろと言われるのがオチです。
仮に選挙にお金をかけずに当選しても、スタッフがいなければ、ろくに情報を集めることもできません。1人で法律も経理もある分野の専門情報も全部持っていて、最新情報や他国の情報を全部1人で調べられてそれをアウトプットできて委員会にも参加できるような超人はまずいません。
金が無いと志だけで政治家になっても肝心の政策を具体化するところで仕事になりません。

しっかりとした報酬があれば、数千万円というお金を自分で用意しなくても、報酬を使って必要なスタッフを雇ったり、必要な情報を収集し分析させることもできます。



国会議員の報酬を下げろと無闇に言う人は、それでどういう政治になることを想定しているのでしょうか?


国会は立法府であり、議院内閣制の日本ではある意味国の最高機関とも言えます。そこでお金をケチっていいのでしょうか?
無駄な経費を削減すべきとは思いますが、本気でやることを考えた時には7000万円強と言う金額は決して十分ではないと思うのです。


国会議員の報酬で問題となるのは、仕事をしていない人に報酬が支払われてそれをチェックできないシステムであり、報酬額の問題ではありません。
民間企業においても個人の報酬額や経費が多いことそのものが問題ではありません。その額がその人の働きに見合っているかどうかが問題なのです。

そのような制度を考えた時に不透明で無駄を生むような報酬の与え方は修正されるべきでしょう。しかし、無闇に報酬を下げろという主張はされるべきではないでしょう。



確定拠出年金のマッチング拠出はまた見送りの公算大

確定拠出年金のマッチング拠出の件はどうなった?


気にはなっていましたが、特に新しい情報を聞かなかった「国民年金法等の一部を改正する法律案(年金確保支援法案)」。

大和総研のページのコラムで久しぶりにこの話題を見ましたが、予定通り雲行きが怪しいようです。


民主党が政権をとった時には、ミスター年金こと長妻氏が注目を集めた記憶があります。国民の関心も浮いた(消えた)年金に関心が集まっていました。
「国民年金法等の一部を改正する法律案(年金確保支援法案)」では、2年だった国民年金保険料の納付可能期間10年に延長することなど、安心年金への取り組みがされていたように思いますが・・・
今や年金に関するニュースの優先順位は格段に下がっています。


普天間、政治とカネ、子ども手当て、高速道路無料化、社民党の連立離脱、郵政、消費税増税・・・
このような問題を抱えていて首相が辞任するような事態にあっては年金どころではないのでしょう。


現時点では法案の審議にも入れていないようですが、審議時間切れの廃案というのはどうしようもないですね。



P.S.
今日は会社のお偉いさんが来た大きなタウンホールミーティングでしたが、その場でも日本についてGovernment is changingとか言って笑いを誘っていました。



私の著書 - ズボラ投資
「毎月10分のチェックで1000万増やす! 庶民のためのズボラ投資」
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