2本1セットになりがちなここ最近。
どうも社会、政治系のネタを書くと以下のサイクルに入りやすいようです。
 ・livedoor newsに取り上げられる
  →面白いコメントを貰う
  →そのコメントをネタにブログを書く

昨日書いた『自民党の子育て長期計画が怖い』もlivedoor newsに取り上げられました。 → livedoor newsの記事
面白いコメントをたくさんいただきました。反論がやや多めで、売国奴、左翼、民主党の回し者、糞朝鮮人などのレッテルも貰いました。

しかし、今の日本において「家庭で育てる」を推進することが正しいのかがよく分かりません。
 ・少子高齢化、核家族が進み、今の親の世代を支える兄弟等も少ない
 ・GDP比の子育て予算が諸外国に比べて少ない (ここは自民党も増やすと明確に主張)
 ・高学歴化が進み、教育費がかさむ&就労までの扶養期間が伸びている
 ・勤労者の年収は頭打ちから減少傾向

このような状況で「家族で育てる」「自助が先」という方針は正しいのでしょうか?
私は今の日本がすでに家族に多大な自助を求めているように感じています。だからこそ、その多大な負担を嫌がって子どもを生まないという選択肢もうまれてきます。すでに親は自助で頑張っていると思います。

家族の絆は大事です。しかし、それと同じように社会との絆も重要ではないでしょうか。
我が家には娘がいます。当然家族は娘を愛して育てています。しかし、「家庭で育てる」という発想には危険を感じます。自分が育った時代と感じると明らかに今の子どもは社会との断絶が大きくなっています。(特に都心)

昔は近隣社会とのつながりが今よりはるかに大きく、近所の友達が集まって大人数でどこかの家で遊んだり、外で遊んだりしていました。小さいうちから友達の家にお泊りすることもよくありました。家族ぐるみの付き合いなんて関係もそこら中にありました。

私は当然に私の親の子でありましたが、近隣社会に育てられたようなものでもあります。しかし、今は自分が住む家の上下左右に住む人を知らないような時代です。
この現代において「社会が育てるは間違いだった。子どもは親が育てるのだ」というスローガンを掲げられることには大いに違和感を感じるのです。

最近は育児放棄や虐待するの親の問題も取り上げられていますが、これは親の愛情が減ったと言うことではないでしょう。
地縁社会の昔であれば、このような現象は起きにくかったはずです。周りの人たちが虐待にすぐに気づきますし、介入してくるおせっかいな人もたくさんいました。また、親も周りのサポートがあるのでそこまで追い詰められないということもあります。

繰り返しになりますが、今の子どもに足りないのは親の愛情ではなく社会からの愛情でしょう。

「家族の愛情 or 社会の愛情」はどちらか一歩運選択ではなく、両方あるべきテーマです。
しかし、今の日本の現状を考えた時には、「社会の愛情」が大きく欠落した部分であり、そちらを充実させる方へ進むべきではないでしょうか。家族からの愛情を今以上に求めるのは・・・酷な気がします。

親に愛された子どもは、自分の子どもを愛します。
社会に愛された子どもは、社会を愛します。


親を含めた社会が子どもを愛することで大きくなったときに他人にも優しくなれる人が育つ、という社会的循環があるのではないでしょうか。


ちなみに私は朝鮮人でもなければ民主党支持者でもありません。安倍〜麻生時の民主のくだらない攻撃には憤り、自民党に投票し、鳩山・菅にはダメ出しをしてきました。それに対して、面白いレッテルをいただいたのは興味深いものです。少しでも民主政策に合致する部分があったりすると売国奴とかになるんですね。こういう1か0かという「レッテル張り」もブログを書くネタになりそうです。