吊られた男の投資ブログ (インデックス投資)

投資信託を使った低コストインデックス投資/パッシブ投資(バイ&ホールドの国際分散投資)で資産形成を行っている一般サラリーマンの吊られた男が、主に投資やお金のことについて語るブログ。時々、投資やお金以外の話もします。



国民

「年金や国が何とかしてくれ」も「年金や国に期待しない」も残念

Leviathan by Thomas Hobbes

「国に何かしてもらうことを待ち受けている人」と「国に何も期待しない人」
年金に限らないのですが、多いのは年金のケースでしょうか。

一つは「国が年金を少ししかくれない。ちゃんとくれ。」のように国に何かしてもらうように期待する人です。もう一方はその逆で「年金がもらえることなんかに期待しない。自分個人で何とかする」のように国に期待せずに個人での努力に走る人。

個人的にはどちらも少し残念です。国への依存については逆のことを言っていますが、2つの意見は根底で共通している意識があります。

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GDPかGNPか

GDPとGNP

今は当たり前のように各国の経済規模を図る時にGDPを使っていますが、昔はGNPが使われていました。最近の若い世代はGNPなど知らないのでしょうか。
 ・GDP (Gross Domestic Product/国内総生産)
 ・GNP (Gross National Product/国民総生産)
さらにGNPは無くなり、近い概念としてGNI (Gross National Income/国民総所得)になっています。なお、本エントリーではGNP≒GNIとして考えます。

経済規模の拡大が絶対的な善ではありませんが、経済規模が大きくなればそれだけ富の総量が増えるのですから、貧しい人まで富が行き届く可能性が多くなります。そうすると経済の拡大は極めて有効な政策です。
しかし、その時の指標としてGDPは適切なのでしょうか?


GDP≠国民の富

GDPは国内総生産ですから、日本国内の経済規模を表します。
極端な話をすれば、日本という国家さえあれば国民はその踏み台でも構わないというのがGDP拡大です。日本国内が外国人だらけになり彼らによって多くの経済活動が行われ、日本人はごく一部だけになってもGDPは拡大します。例えば、外国人移民を増やし、永住権や参政権を与えて日本国内が潤えば、GDPは拡大します。
GDPは誰が富を所有しているかは問いません。「日本のGDP≠日本人の富」です。
国内の経済規模を大きくすることが国家の目指すべき方向かというと違和感があります。


国家が目指すべきは国民の幸せ

一方、GNPは国民総生産です。GDP同様に極端な話をすれば、日本国内の経済活動は停滞していても、日本人が海外に進出してそこで裕福に暮らしていれば、拡大します。

国家にとって一番重要なのは何でしょうか?
私は国民だと思います。

例え、自国に住んでいなくても豊かに生活できれば幸せを感じるのが人間というモノです。国家が守るべきは国民の生活ではないでしょうか?


国民の幸せは国内とは限らない

このように考えると、今の日本の政策は変な呪縛にとらわれているように思えてきます。
「国内の日本人の雇用を守ろう」のように日本という土地と国民が結びついてしまっています。しかし、これは政策の選択肢を狭めるだけでチャンスも失ってしまいます。
世界では、それなりの数の国民が外国で就職する国もあります。例えばニュージーランド人でオーストラリアで働くことは珍しい話ではありません。
国内に職が無ければ、外国に目を向けてもいいはずです。

今の日本は、確かに日本の国土に多くの日本人が住んでいます。外国で就職する人が例外であって、国内雇用を王道としています。今後もこの路線で職があるならいいのです。
しかし、職が無いというのであれば、ニュージーランド人のように国外に目を向けてもいいのではないでしょうか?
国家も日本人の雇用を守るためにさまざまな規制や障壁を作るのではなく、彼らが国外で職を得られるようにするという政策があってもいいのではないでしょうか。

「国民が豊かに暮らせる」を目標に置いた時、経済指標としてGDPではなくGNP(GNI)という概念が戻ってきてもいい気がしています。



立てよ国民!!

「福田総理の支持率低下」
「後期高齢者医療」
「暫定税率法案」

日本では政治への不満がかなりあるようです。そして、福田総理の支持率が低下しています。

ただ、この論調の中で疑問を感じます。
##『後期高齢者医療制度報道に喝!!』で書いた
##ように「内容を分からずに文句言うな」ということも
##ありますが、今回はそれを除きます。


その疑問を感じる論調は「政治家達がしっかりしてない。ちゃんと政治をやってくれないと困る。日本を正しい方向に導いてくれる人はいないか!?」というようなリーダー待望論的な主張です。

これは「政治は自分達には分からないからお上がやってくれればいい」と丸投げしている主張です。特定の独裁者か、少し幅を広げてエリートなどの一部の指導者層による統治を望むということでしょうか?
行政・経済・金融・立法などに詳しい優秀な指導者達に日本のコントロールを任せたいということでしょうか?

しかし、それが望みだとすれば現状がすでにエリートによる支配なのです。

政治家の帝王学を学んで育ってきたエリート2世議員。
彼らは若き時から政治の世界の空気を吸い、政治家になるべくしてなった人たちが多数います。
支持率が低かった&低い安倍晋三氏、福田康夫氏はまさにエリート中のエリートです。
・祖父に総理大臣、父に外務大臣、他親族に多数の政
 治家を持ち、成蹊学園で学んだ安倍氏。
・父は総理大臣、麻布→早稲田の福田氏。

そして、非難がよく集まる官僚機構も東大卒を中心としたエリート教育を受けたエリート軍団です。このようにきわめて優秀なエリートと呼ばれる人に統治されているのが日本です。

・・・というように自分達が望むように優秀な政治・経済・法律に詳しいエリート達による統治が実現しているのになぜそれに文句をいうのでしょうか?


結局、このエリート統治待望論の方々は、大事なポイントを見落としています。

エリートによる統治を希望して自分で考えることをやめることは、そのエリート達を選出し、監査する役割を放棄したということになります。
つまり、エリートだけで全て意思決定ができてしまいます。こうなると何が起こるかというと、エリートは自分達に都合のいい制度を設けます。その英知を結集して自分達の利益の確保に走ります。当然の結果です。

これは、有名な「Power tends to corrupt. Absolute power corrupts absolutely.」という言葉が表すとおりです。

エリートによる統治を望むからこそ、統治者たる政治家が堕落しているのです。

「お上」と呼ぶように、昔から日本では統治者がどこかにいて、庶民は政に関わらないという意識があるのかもしれません。しかし、自分の住む社会を変えていくには残念ながら自分で管理していかねばらならないのです。
そのような自己意識を持たないのであれば、時の施政者によって翻弄されることを覚悟すべきです。


投資でも「よく分からないけど投資信託買ったら大損。銀行預金だと利子がほとんど無いから、もっと儲けようとしたら、こんなことに。聞いてないよー」と言う人がいれば「自業自得だね」の一言です。

政治もこれと同じで、楽して都合いい方に動くと期待するのは甘すぎます。


その投資信託は自分の財産を信託するのにふさわしい投資信託か?その政治家は自国の政治を信託するのにふさわしい人物か?
これを見決めるのは自分の責務です。


文句があるなら立てよ国民!!

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