吊られた男の投資ブログ (インデックス投資)

投資信託を使った低コストインデックス投資/パッシブ投資(バイ&ホールドの国際分散投資)で資産形成を行っている一般サラリーマンの吊られた男が、主に投資やお金のことについて語るブログ。時々、投資やお金以外の話もします。



ニュース(政治・経済以外)

記録的大雪と報道 - 今回の積雪災害をリアルタイムで報道すべきだったのか

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日本ではこの2月に関東や東北などを中心に記録的な大雪に見舞われました。
積雪記録の観測史上最高を更新した地域が多数あります。甲府などでは大きな騒ぎになりました。

天下の上杉隆御大が山梨の大雪災害がぜんぜん報じてられていないとも書いていますが、今回の大雪でこのような「ちゃんと報道されていない。しっかり報道せよ。」という意見は散見されます。
※上杉隆大先生の立派な活躍はこちらなどをご参考に ⇒ 前代未聞の過去記事の一括訂正


しかし、これは「取材して放送すればいい」とそう単純な問題ではないでしょう。

以下に報道すべきか悩ましい理由を挙げてみます。

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イケダハヤト氏のブラック企業批判にはうんざり

(先日のアブラハムネタで賞味期限切れという気もしますが、)またイケダハヤト氏がふざけたブラック企業批判をほえていました。

「10年に1度の台風」のなか、社員に出社させる会社は「ブラック企業」だ
台風の状況は明日になってみないとわかりませんが、記録的な台風の最中を「出勤」させる会社は間違いなく「ブラック企業」と言えるでしょう。
「どうしても会社に行かなければならない仕事」というのも、世の中には存在するのでしょう。が、そうした仕事が存在する企業、そして社会は不健全であることに気付くべきです。
ダメだ、こりゃ・・・
10年に一度の台風が来たら会社の社員が一切出社しないことを考えてみると恐ろしい状況です。

公共交通機関はすべてストップですし、タクシーなどもありません。何かあっても移動はままなりませんし、モノを買うこともできません。
発電所なども無人になり電力やガスなどのインフラ企業もその日は運営が停止します。(無人で動かせるのか?)
命の危機云々とのたまっていますが、台風で誰も出社しない方が明らかに社会的な被害は桁違いに大きなものになるでしょう。

「震災を思い出してください」 などと言っていますが、震災を思い出すべきはイケダハヤト氏でしょう。
会社で働いている人がいるからこそ震災の後でも多くの人が救われました。
震災時には、私の娘は保育園に預けていましたが、イケダ氏が提唱するように「とにかく、自分の命だけは守ってほしい」なんて論理で遅番の保育士は保育室に来ずに早番の保育士は私の娘を放り出して逃げていたらどうなっていたことか・・・

思慮の足りないバカな道徳観から本人はいい事言っているつもりかもしれませんが、そうだとしたら非常に迷惑な話です。(ただの炎上マーケティングという話もある)


ぼくもサラリーマン時代、台風のなかを何度か出社しましたが、やっぱり仕事になりませんでした。いい加減、日本人は学習すべきですよね。
自分が無能/役立たずだったからといって、他人にまで同じとするのは間違いです。


幸いにもこのイケダハヤト氏の主張には批判的な声が多いのですが、一部にはこういう声を支持してしまう人もいるので困ったものです。



憲法改正のポイントは96条ではなく、その先

TPPと選挙にかかわるネタに触れたので、参院選もあるので選挙争点ネタをひとつ。


憲法改正


自民党が憲法96条改正をぶち上げて争点の一つになっています。
憲法96条は憲法改正の手続きであり、自民党の改正案は「現在は国会両院の2/3以上の賛成で改正発議というのを1/2に緩和する」というものです。

しかし、これは本題ではありません。
自民党の憲法改正の目的が憲法を変えやすくするなんてものに終わるわけもありません。
自民党が考えているのは、96条にとどまらず憲法を大きく変えようというものです。そのためにも両院2/3の賛成が無いと発議できないというハードルを下げたいというのが96条改正の狙いです。

自民党の憲法改正案については以下の自民党のサイトに掲載されています。
「憲法改正草案」を発表

ここでは多くの変更が記載されています。インターネットで調べれば変更点の解説をしているサイトもありますので、参考にしてみてください。


以下は私が主に気になっている点です。


●国民の国旗・国歌尊重義務
第三条 国旗は日章旗とし、国歌は君が代とする。
2 日本国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない。

卒業式等での君が代斉唱騒動などもありますが、国旗及び国歌への尊重を国民に義務付ける条文が新設されます。


●憲法第九条から戦力及び交戦権放棄を削除し、自衛権発動を認める条文を追加
九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動としての戦争を放棄し、武力による威嚇及び武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては用いない。
2 前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない。

現在の第九条第2項は「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」でしたが、これが削除され、上のように置き換えられます。


●第九条に国防軍の記述追記
第九条の二 我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する。
2 国防軍は、前項の規定による任務を遂行する際は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。
3 国防軍は、第一項に規定する任務を遂行するための活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる。
4 前二項に定めるもののほか、国防軍の組織、統制及び機密の保持に関する事項は、法律で定める。
5 国防軍に属する軍人その他の公務員がその職務の実施に伴う罪又は国防軍の機密に関する罪を犯した場合の裁判を行うため、法律の定めるところにより、国防軍に審判所を置く。この場合においては、被告人が裁判所へ上訴する権利は、保障されなければならない。



●「公共の福祉」の削除、「公益及び公の秩序に反してはならない」責務の追加
第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、保持されなければならない。国民は、これを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない

従来の第十二条は「国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」でしたが、公共の福祉という言葉が削除され、公益及び公の秩序に反してはならないとされた。


●公の秩序の下位としての基本的人権が明言された
十三条 全て国民は、人として尊重される。生命、自由及び幸福求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限に尊重されなければならない

第十三条は上記のようになります。公益及び公の秩序に反しない場合に限っては尊重されるということなので、公の秩序維持のためには基本的人権は尊重されないということが明確にされました。


●表現の自由に、公益及び公の秩序を害す目的は認められない条件が新設
2 前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。

表現の自由には上記のような内容が追加されました。


●国民への説明の義務の新設
第二十一条の二 国は、国政上の行為につき国民に説明する責務を負う。

上記のように、国政行為について国が国民に説明する責務を新設しました。


●家族による相互扶助の義務化
第二十四条 家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない。

この条文が新設され、家族という集団が強化されます。家族の相互扶助が義務化されるので、仲が悪いから扶助しないというのは憲法違反になりそうです。


●政党の活動保護及び発展が明記
六十四条の二 国は、政党が議会制民主主義に不可欠の存在であることに鑑み、その活動の公正の確保及びその健全な発展に努めなければならない

上記のように政党活動を保護し、政党を発展させていくことが明記されます。


●国民へ憲法尊重義務が課せられる
百二条 全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。
2 国会議員、国務大臣、裁判官その他の公務員は、この憲法を擁護する義務を負う。

従来は「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」のように憲法順守は国家(に属する側)へ定義されていましたが、国民にもその義務が課されるようです。従来は「憲法は国家権力縛る法である」という解釈もあったので、これは大転換です。


第96条の憲法改正手続きばかりが注目を浴びていますが、自民党の改憲案は多岐に渡るので、賛否は兎も角このあたりはしっかりと考えて欲しいです、



体罰を正当化しがちな理由を考える

体罰はよくないという主張を体罰正当化の理由なんてクソくらえで書きました。

しかし、世の中には体罰を正当化しようとする人がいます。何故、正当化するのか簡単に傾向を考えています。
  (1)体罰によって生徒/学生たちの成績が伸びた(という錯覚)
  (2)体罰を受けた記憶は喉元過ぎると武勇伝になる



(1)体罰によって生徒/学生たちの成績が伸びた(という錯覚)
これは非常に強いように思えます。
県下で有名なスポーツ校などで体罰を実施していた場合などには「この厳しさによって強くなっているんだ」という印象を持つこともあるでしょう。スポーツに限らず勉強等でも同じです。

中学や高校で体罰ありの教育を1年間続ければ、その1年間で子どもたちの能力は伸びるでしょう。しかし、それは体罰の成果ではなく、当たり前の話です。
中学や高校時代は、よっぽどまずいことをしなければスポーツにしろ、勉強にしろ伸びるのが普通です。特別な指導者としての訓練を受けていないOBが1年教えに来たとしても上手くなります。自主練だけでも1年も練習すれば上手くなります。

自然状態でも普通に伸びていくのが中学や高校時代であり、体罰教育による能力向上をもって体罰の有効性があると思うのは錯覚です。体罰を用いていない場合より能力向上が著しいということが示されてこそ体罰の有効性を語る資格があります。(本当は、さらに体罰によって得られるデメリットも考慮しなくてはいかんです)


(2)体罰を受けた記憶は喉元過ぎると武勇伝になる
寝てない自慢、勉強していない自慢、昔は悪かった自慢」…ありませんか?

学生時代の友人と会った時に昔話に花が咲いて次のような会話をすることがありませんか?
「バスケ部つらかったよなー。●●(先生の名前)めちゃくちゃ厳しかったじゃん。ちょっとミスしただけで怒って殴られたり、走らされたりしたよな」
「そうそう、マジでありえなかった。俺なんか夏に外を3時間も走らされたぜ」
「○○(部活仲間)なんて、スゲェ目をつけられてたじゃん。」
・・・

よくある話です。

昔の辛かった体験というのは、それを耐え抜いた人には武勇伝になります。部活に限らず残業に次ぐ残業のデスマーチなども同じです。昔の残業自慢をする諸先輩方の多いこと多いこと…

食糧にさえ事欠き衛生状態に難があるような戦争時の前線の塹壕内のような劣悪な環境は別ですが、体罰があるような環境でも大多数は生き残ります。
体罰→自殺が問題になった高校でも集団自殺があったわけではなく、自殺したのは1人です。大多数は無事に(?)卒業します。
そうすると卒業後にはその環境に耐えたことが武勇伝に変化していきます。厳しい指導や体罰の話を聞いても「俺らも昔にやられたけど耐えたんだぜ・・・」となりがちです。
大多数の武勇伝の陰には少数の自殺者や病気になったものなどがいるのですが、彼らは「我慢できなかった弱い奴ら」とされてしまいます。

しかし、弱さは関係ありません。
どんなに心が強い人たちを揃えても体罰を是とする指導法では何人かは耐えられません。何故ならそれが目的だからです。
体罰の目的はその暴力の力によって恐怖を与えたりすることが目的なのですから、相手の心が折れなければ体罰が強化されていき、皆が恐怖を感じて落伍者が出るところまでエスカレートしていきます。

そこで生き残ると「あんな厳しい環境にも俺は耐えた」「何人か途中で辞めていった奴もいる中で俺らは耐え抜いた」と武勇伝にさらに箔がつきます。

そういう武勇伝のための生贄を出し続けていいものか…



体罰正当化の理由なんてクソくらえ

桜宮高校の体罰→自殺事件で、体罰が注目を集めました。ニュースとしての旬は過ぎましたが、今回はこれをテーマに書いてみます。

桜宮高校の体罰→自殺事件を受けた体罰に関する話で(一部)体罰を擁護するような意見が散見されますがクソくらえです。

【from Editor】一定条件下の体罰(産経新聞)
こうした事件が起きると、「それでも体罰は必要だ」と言うには勇気がいる。だが、私は、一定の条件下で体罰は必要だと言いたい。それはどのような条件か。

 まず、対象を故意行為に限るべきだということ。故意行為とはわざと行うことである。サボる、ズルをする、卑怯(ひきょう)な行為をする。責任を転嫁する、違法、不法行為をする−などである。みなが掃除をしているのにさぼったり、たばこをすったり、万引をしたり、といった行為に対して体罰を行うことは意味がある。ねじれた心を正すためである。
教師と生徒の間に信頼関係があれば、殴られても生徒は悪感情をもたない。その場合、体罰はむしろ有効である。だから、体罰の全否定には反対である。

産経新聞の編集委員である大野敏明氏のポイントを挙げると以下のようになります。
 ・教師と生徒の間に信頼関係があれば、殴られても生徒は悪感情をもたない。
 ・故意の悪い行為には体罰を行うことはねじれた心の矯正で有効だ

何を言っているんでしょう。
「信頼関係があるなら殴られても悪く思わないし、ねじれた心の矯正に有効」って馬鹿じゃないでしょうか。
真に信頼関係があれば、そもそも体罰は必要ありません。口頭の指摘で事足ります。
真に信頼関係があって慕っている人から本気で注意されれば、それは心に響くものです。信頼関係だけでは不十分だからこそ暴力の強制力を借りるのです。

皆さんも体験でわかるのではないでしょうか。信頼している/慕っている人とそうじゃない人がいるでしょう。あの人に注意されるとむかつくけど、あの人に言われたら仕方ない・・・と。
部活の中でも、あの先輩に注意されても「うるせーなー」と思うだけでも、ある慕っている先輩に注意されれば言うことを聞いたりするものです。

私は小学校のサッカーコーチをしていますが、ここでも同じことがあります。
1人のコーチは子どもたちを威圧して支配しています。サボるプレーがあれば厳しく接します。それがねじれた心の矯正につながるということなんでしょう。しかし、もう1人のコーチはそのような厳しさはありません。しかし、信頼からゆえか静かに注意するだけでも子どもはサボらず一生懸命に積極的にやるようになります。

体罰は"必要"でしょうか。前者のコーチは必要だと主張するかもしれませんが、後者のコーチを見る限りは必要ではありません。
体罰しなくては生徒をコントロールできないから体罰が必要だという指導者は、体罰の必要性を訴える前に非暴力では生徒をコントロールできない自身の無能さを問題視した方がいいですよ。

体罰という名の暴力に訴えるのは以下のどちらかが理由でしょう。
  (1)信頼関係がない、指導する能力に欠ける
  (2)実は(信頼関係があるから口頭でも十分で)無意味


そもそも、大野敏明理論が成立するなら産経新聞はどうしているのでしょうか。

「サボる、ズルをする、卑怯(ひきょう)な行為をする。責任を転嫁する、違法、不法行為をする」といった行為は社会人の民間企業の中でもあることです。産経新聞の中で、このような行為があった場合には体罰を行っているのでしょうか?



私の著書 - ズボラ投資
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