hashi

投資をやっていると,いかに効率的に経済的な利益を得るかといったことを考えるようになります。
特にインデックス投資の考え方は期待リターンやリスクといったものを数字で考えて,勝てる確率が高い方を選ぶといったことでなおさらそのような傾向がある投資法です。

そういう思考法を持つと
    • 入院確率やそのときに発生しうる費用などを計算して,医療保険に加入すべきか・しないべきか
    • 持ち家か,賃貸か,どちらの方が長期的にはお得か
といった経済的合理性で物事を考えがちになることがあります。

しかし、人生は実は無駄なことに価値があります。ある局面で経済的合理性を追及するのは無駄なことにその資金をつぎ込むためとも言えます。



仮に経済的合理性ばかりを追求していくとしたら,それは人生といえるでしょうか?
自分の能力を考えて合格できるその先の進学実績がいい学校を選ぶ,友達も経済的合理性がある人と友人になる。経済的合理性がないオタク趣味ではなく好きでもなくても経済的に合理的なクラシック音楽などを聞く。好きか嫌いかは関係なく経済的に合理的なパートナーを選ぶ。友人との交流も好き嫌いは関係なく経済的に合理的な付き合いをし,食べ物も好き嫌いではなく経済的に合理的なものを食べる。

確かにこのような一生を過ごした場合,ある一人の人間の生涯なので人生なのでしょうが,もはやその人の生きざまというものはありません。ただロボットのように動いているだけです。こんな人生は面白くありません。

自分の好きな映画を見て,好きな漫画を読んで,仲の良い好きな友人と遊んで,大好きなサッカーをやって,好きな歌手の音楽を聴いて,好きなテレビ番組を見て,好きなパートナーと一緒に過ごして,好きな家具を買って,好きな食べ物を食べて……というのが人生の醍醐味ではないでしょうか?
    • その漫画を見ることに経済的なメリットはあるの?
    • その友人と遊んでいる時間から得られる経済的なメリットは?
    • その家具よりも,こっちの家具の方が収納力が高くて安いけど,その家具なんているの?
Mr.マーケットではなく,Mr.経済合理性がいたらこんなことを聞かれそうですが,「そんなんこと知るか」でしょう。

世の中の99%の人にとっては価値を見出さないことかもしれなくても,それが私やその人にとっては楽しいことなんです。
ソシャゲに課金だって,漫画雑誌を買ったってそれが楽しいんだからいいんです。そこに経済的なメリットというものはありません。

経済的合理性の比較でよくつかわれる「賃貸 vs. 持ち家」だって,どうしても自分の好きな家に住みたいという人にとっては経済的合理性を無視して持ち家の一択になります。それがその人の人生の生きがいなのですから,それを経済的合理性で説得を試みるのは無駄です。
私がACミランの試合を観るために,家族を置いて一人でイタリアへ2週間弱行ってきたことに対して「それだけ金と時間かけて何かメリットあるの?」と聞く無価値です。
ただ「行きたかった」。それだけです。


経済的な合理性というのは,経済的に合理的ではないかもしれない好きなことをするために,興味のないところでお金や時間を稼ぐ手段です。
何のために働いてお金を稼ぐのか?投資でお金を増やそうとするのか? 好きなACミランの試合を見に行くためです。これでいいでしょう。

ある物事に対して経済的な合理性を説明することはできますが,それが好きという人にとっては経済的合理性が「やる or やらない」という選択基準にはあまりなりませんので,そこで説得しようとするのは無理でしょう。

※利益を得るためにやる投資や労働という行為においても好き嫌いという要素が入ってくることはあるわけで,合理的ではない投資法だって好き嫌いで選ぶのはありでしょう。FXが楽しくてやっているというのであれば,たとえ非効率的と言われようといいんです。



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