Twitterでいろいろ書いたので,ブログでもまとめて書いておきたいと思います。
お金持ちになりたいなら子供は作るな!
やっぱり子供は負債だろ
このようなブログがあっての話です。
上記のブログでは子供をバランスシートで分類すると負債であるとしていますが,簡単にどういう内容か整理しながら話を進めていきたいと思います。お金持ちになりたいなら子供は作るな!への反響を受けてやっぱり子供は負債だろを書かれていて,その中で子供と負債の関係について強くフォーカスして書かれています。
バランスシート的に子供が負債って変じゃない?
子どもを持つと将来的に費用が発生するということは理解します。しかし,負債とするのは理解できません。あえてバランスシート的に子供を負債に計上するなら、対する資産には「のれん」として計上するのが適当でしょうか。このようにバランスシート的な考え方をしてみた結果として負債に計上は腑に落ちません。
利益を生み出すのかはっきりしない資産ですからね。
資産バリュー投資的にいうと、のれんは資産価値0として評価するので、子供は資産になりません。
私は仕事でシステム導入を行っています。システムを導入するとライセンス費・保守費等々のランニングコストがかかりますが,システムや設備を負債と呼ぶことはまずありません。利益を生み出すかはっきりしないのは社内システムも同じですが,「利益を生み出すかはっきりしない社内システムを負債に計上して,資産にのれんを計上する」というバランスシート的な考え方は存じ上げません。
負債という意味合い?それもやっぱり変では?
@tsurao @udohrintaro ブログにも書いていますが、負債という意味合いで使っただけであり、負債と言い切っているわけではありません。バランスシートの負債で話をする人がいたので、そういう負債ではないということを言いたかったんです。
— AKI (@akipop2004) 2016年11月27日
@tsurao @udohrintaro 「ほかから金品を借り、その返済義務を負うこと。また、その返すべき金品。」という「意味合い」です。あと、養育費は強制だと思ってます。払う払わないの選択肢が親にあるとは思えません。携帯代を払いたくないなら解約すればいいけど子供はそうはいかない
— AKI (@akipop2004) 2016年11月27日
負債と言い切ったわけではなく負債という意味合いだと言われていますが,やはり変です。説明された意味合いで子どもを説明すると,【子どもは,「ほかから金品を借り、その返済義務を負うこと。また、その返すべき金品。」】ということになります。
子どもは,誰かからの借り物で返済しなくてはいけないものでもないし,返すべき金品でもありません。こんな意味合いだというのであれば,負債という言葉を使うことで話が全然わからなくなります。
なお,負債と言い切っていないとのことですが,反響を受けて書いた2本目のやっぱり子供は負債だろにて,以下のような表現が見受けられ,これで言い切っていないというのはかなり無理があるように思えます。
- タイトルで「やっぱり子供は負債だろ」と言い切り
- 再度「やっぱり子供は負債だろ」と大きな文字で中見出しをつける
- 「やっぱり子供って負債としか言いようがない・・・。」とやっぱりとしっかり確認した上で太字で"負債としか言いようがない"と結論づける
子供は負債という視点からの解決策は,いい策とは思えない
@tsurao 意図は別の視点を提示したかったからです。支出だと普通の話ですから。昔から子育て支援の記事を書いていますが、支出のような書き方だと読んで貰えなかったので言葉を変えてみました。ところで、吊ら男さんは子育て支援についてはどうお考えですか?
— AKI (@akipop2004) 2016年11月27日
最後まで読んでくれほしいということですし,上記のようにTwitter上でAKI氏から「吊ら男さんは子育て支援についてどうお考えですか?」と聞かれてもいますので,ここで少し書いておきます。
なお,普通の話だから読まれないから普通じゃない話にして読まれるようにするというのは,いわゆるテレビ局の"演出"的な臭いがして好きになれないことは最初にお断りしておきます。
本題に移ります。まず,AKI氏が提示された解決策に反対です。また,AKI氏はいろいろ事実誤認があるように思えます。
■高齢者は負債であり負債への手当で年金がある,という誤解
年金というお金の手当てを施すことで、人は負債である高齢者に対処をしました。このように書かれていますが、これは認識が違います。年金は正式には年金保険です。保険というのが重要です。
おかげで、日本では高齢者は働かなくても生きていくことができます。
負債と考えたからこそ、解決策が生まれました。
なぜ公的年金制度は必要なの?(厚労省) の回答がわかりやすいでしょうか。
私たちの人生には、自分や家族の加齢、障害、死亡など、さまざまな要因で、自立した生活が困難になるリスクがあります。こうした生活上のリスクは、予測することができないため、個人だけで備えるには限界があります。そこで、これらに備えるための仕組みが、公的年金制度です。公的年金制度は、あらかじめ保険料を納めることで、必要なときに給付を受けることができる社会保険です。まず,人間が国家を形成して,社会ルールを作っているのは,個々人がバラバラに自助努力するよりも皆で協調した方が様々なメリットがあると考えているからです。(道路工事なんて国家のようなものがないと大変ですよね。各自が自分の土地に自力で道路作っていたら幹線道路なんて作れない…)
医療保険や年金保険もそれです。個々で見ると割を食っていると考える人もいるかもしれませんが,総体としての便益は個々人で対応するよりいいだろうということで設けられています。
保険の話にすると,保険は相互扶助です。保険を受け取る人も保険料を払っています。負債のない者が負債のある者に対して一方的に補填するような性質のものではありません。
■子どもを負債と考えると子育て政策は失敗する
AKI氏は子どもを負債と考えるから手当てが手厚くできると主張していますが,これは違うでしょう。「俺、テスラのロードスター買ったんだ。支払いきついからみんなで一緒に払ってよ」
こう言われて払ってくれる人いるでしょうか? (残念ながら私の友人関係ではそのような気前のいい人はいません。もしくは気前が良い人がいたとしても私がそこまでの友人関係を築けておらず,払ってもらえない)
「てめぇの買うロードスターが何の役に立つんだよ。なんでそんなものに俺たちが金を払わないといけないんだよ。」という素敵な答えが期待できそうです。
今の日本は出産は原則的に自由意志です。国家による強制ではなく自らの意志で子どもを持つことができます。ここで仮に子どもを資産価値0で単なる負債としか見ずに,その負担を他人に補填してくれというのは,ロードスター購入と同じロジックに陥ります。
子どもが資産価値0で負債なのだとしたら「子どもなんて生むなよ馬鹿!そんな他人の負債を俺が負担する理由はない!」がごもっともな主張になります。
AKI氏は子育て支援税を提言されていますが,このような税及び社会保障が正当化されるのは税の徴収/社会保障に社会的な正当性があるからです。
例えば,警察を組織するために税金を払うのは,治安を守るためであり納税者のためです。警察組織が負債だから手当てするために税金を払うのではありません。
市役所職員に税金で給与を支払うのは彼らが資産価値0の負債だからではありません。市役所業務に価値があるとかんがえられるからです。
資産価値0の負債だったら手当などせずに事業仕分けでお取り潰しです。社会的意義が全面に押し出されているからこそ正当性があります。
■最も重要な社会資本が人であるのだから,そこへの投資が重要
では,子育て支援として税金などを投入する正当性はどこにあるのでしょうか?先にも書いたように,子どもを単に負債と捉えるなら産むことをやめさせるが正しい回答になってしまいます。
しかし,そうではありません。今の私たちは,自分以外の誰かが存在することで社会で生きています。バスの運転手もコンビニの店員も漁師も漫画家も誰かの子どもでした。彼らが育って社会活動を行っていることで私たちは様々な便益を受けています。「君の名は。」という素晴らしい映画を観られるのは,新海誠監督が生まれて育ってくれたからです。(ちなみに私はまだ観ていません。我が家はまだ「おれの名をいってみろ!!」で止まっています)
子どもが生れ育つことは社会の安定と発展のために重要なことであり,私たちはそこから何らかの便益を得ていると考えるのが自然でしょう。便益を得ているのだから,そこにお金を支払うのという筋が通ります。
直接的に測定できるものではないのでダイレクトには当てはめにくいですが,受益者負担の原則という言葉もあります。誰かの子どもが育ち,その人の活動によって利益を享受しているのであれば,受益者としてお金を払っていいのではないでしょうか。
これは子育てが負担だから手当てするという話ではありません。次世代の人類が,社会にとって重要な社会資本であるなら社会で育てようという話です。
私は、「子供は資産」と考えられていることにその原因があると捉えています。子育て支援が充実していない理由が,子どもが(その家庭の)資産だと思われているからと言われていますが,そこは違うでしょう。根本的な原因は各家庭のミクロの問題として語られているからでしょう。
上にも書いたように子どもはマクロで見て重要な社会資本です。原油や金属やガスなどよりもよっぽど重要な社会資本です。しかし,子育て議論になるとその視点ではなく,各家庭の経済力が…のようにミクロの論点で語られてしまいます。
そうなってくると,子育て支援=子育て世帯優遇のような議論になっていきます。例えば,学費無償化問題をミクロな家庭の財布の問題と捉えれば「行かせるか行かせないかは各家庭の問題。何でそこに俺たちの税金払われなきゃいけないんだ。学費払えないなら奨学金借りろ,いや働け。」となりますやすい。
一方、子どもたちが教育を受けて育つことは社会の問題だと考えれば,「社会として子どもたちに高校や大学で教育を受けてもらうべきか.受けてもらわないべきか」という家庭の負担論ではなく,社会としての話ができるのではないでしょうか。
AKI氏は,子育て支援の視点として,子どもをミクロの「夫婦の財布の中身の増減」という視点で「負担」と評していますが,私は子どもをマクロの「社会資本」という視点で「資産」と考えています。
ですから,私は,「子どもは社会にとっての資産」と考えられていないことにその原因があると捉えています。社会として,将来の社会資本に対しては十分な投資をした方がいいのではないかと考えています。
以下の1文だけですが,AKI氏もブログの中ではこの社会的利益のことに触れていますが,マクロではなくミクロ,資産ではなく負債という別の方向に行ってしまったのは残念な気がしています。
しかし、マクロではこの状況が続くと日本没落はかなりのものになってしまう。
まとめ
- 会計(バランスシート)的に考えて,子供は負債というのは違う
- 「子ども=負債で手当てをする」という考えは,「自由意志で抱えた負債を俺に払わせるな」と子育て支援と逆の主張に正当性を持たせる危険な思想
- 子どもは社会にとって重要な社会資本なので,社会としてそこに投資すべきではないか
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いつも拝読しています。
今回の記事に関しては意思表明をしようと思い、初めてコメントを差し上げました。吊ら男さんの記事内容が、まっとうな主張だと思います(AKI氏も問題を解決しようと一生懸命考えられたと思うのですが、子どもをマイナスとしては人類が滅んじゃうのでは…)。以上です!