「国に何かしてもらうことを待ち受けている人」と「国に何も期待しない人」
年金に限らないのですが、多いのは年金のケースでしょうか。
一つは「国が年金を少ししかくれない。ちゃんとくれ。」のように国に何かしてもらうように期待する人です。もう一方はその逆で「年金がもらえることなんかに期待しない。自分個人で何とかする」のように国に期待せずに個人での努力に走る人。
個人的にはどちらも少し残念です。国への依存については逆のことを言っていますが、2つの意見は根底で共通している意識があります。
国と自分とは関係ないという意識
両者に共通しているのは、国と自分を切り離している点です。国という組織があり、そこは何かをしてくれるかもしれないし、してくれないかもしれない。いずれにしても自分はそこを運営する構成員ではない。これは少し残念です。言わずもがなですが日本は国民に主権がある国家であり、国民が国家の構成員です。
国に何かしてもらいたいと言うのは、自分へ要望しているようなものです。docomoの社員がdocomoのサービスについて何とかしてくれと喚いているようなものでしょう。
一方、国なんか知らないというのは、主権者が主権者としての役割を放棄して「自分たちに期待するの止めよう」と言っているようなものです。
第三の道として、自分(たち)で国を変えるという発想はどうでしょう
せっかくの国民主権の国家です。自分(たち)が主権者なのですから自分(たち)で変えようとしてもいいのではないでしょうか。残念ながら若年層は国政選挙での投票率が低いように、若年層は主権者として国家を運営しようという意欲が低いように見えます。
「どうせやっても無駄だ」みたいな声もありますが、そうではないでしょう。たかが国政選挙に投票に行くことだけでも20代/30代の投票率が60代並になれば、若者の票数は急激に増えます。今と比較して選挙結果に及ぼす影響はかなり大きくなります。
こうなってくれば、選挙戦略として若者という支持層を意識した政策を打ち出してくる政党や立候補する議員達も現れるでしょう。
また、主権者としてできることは選挙の投票に限りません。
アメリカの大統領選では候補者の演説時に周りで熱狂的な党員たちが騒いでいる映像が流れることもありますが、あのように積極的に政治的な活動に関わってもいいでしょう。主権者ですから。
地方から東京での演説まで出かけるなんて無理だよ…という声もあるでしょう。それでも構いません。他にも良いと思う政策があったらそれを広める活動をしてもいいと思います。支持政党を見つけて党員になるのも一つです。他にも議員に陳情したり、個人や勤務先の企業のメンバーとしてパブリックコメントで意見を出したり…とやれることはたくさんあります。
自らが国の運営者たる主権者の一員であるにもかかわらず、それを棚に上げて国に何かしろと要求したり(主権者であるお前らが何とかする話だろ!)、それを棚に上げて国に期待できないと言ってみたり(お前らが役割果たしてないからだろ!)を止めてみるのはどうでしょう。
まずはボトムラインとして議員選挙や住民投票では投票しましょう。そして、他にも主権者として主権者らしく振る舞うというのはどうでしょうか。
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。
日本国憲法第12条の一文ですが、日本国憲法の中で私の好きな文言の一つです。「国民の不断努力によって…」という文言に、(日本にかぎらず世界で)国民の権利が過去の多くの努力によって獲得されてきた歴史が詰まっているように感じられます。
「自分の将来を確かなものにする最善の方法は自分で切り開くことである。」
これは正確な引用ではありませんが、私の昔の上司がある外国人の上司にこのような言葉を言われたようですが、いい言葉です。
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は人口の多い老人の方が有利ではないでしょうか?パブリックコメントでも上司は自分よりも年上が多く、議員にしても若者の意見もよりも人数の多く経済も社会的地位も高い高齢者の意見を取るでしょう。
そして若者が高齢者よりも有利な物って単純に「体力」突き詰めれば「暴力」です。実際、選挙権を得るための努力といえば聞こえはいいですが、革命なんて典型的ですね、若者の「暴力」によって民主主義は生まれました。「暴力は駄目、話し合いの機会なんかは与える、でも高齢者有利な状況はやめない」これじゃ駄目ですよ。理屈と雰囲気だと吊られた男さんのおっしゃとおりの世の中素晴らしいと思います。でも、現実的に考えて本当にそうした社会は実現可能だと吊られた男さん思いますか?それ、「国民全員がお金を一万円ずつ使えば景気が良くなる」のと一緒で現実問題は不可能だと思いますが。
そもそも、今のシステムのため「若者の得票率が低下する」という結果が出ているわけです。その結果を無理に若者の思想の問題にしてもしょうがないと思いますよ。
「暴力」か「見捨てる」かどちらかを若者が選んでいく時代になりつつあると思います。