「自分が投票したって何も変わらない」とかどうなんだろうに続けての衆議院選挙ネタです。
今の"素晴らしい"日本の政治では、積極的に支持できる政党や候補者がいないという意見もよく聞きますし、同意します。
そんな中、気になるのは「選挙で支持したい人がいないから抗議の意を込めて白票を投票する」という意見。「選挙制度そのものは否定せず参政権は行使するが、ロクな候補者がいないので選べない」→「白票=支持したい候補者がいないという抗議の意」というのが主な主張です。
この認識は正しいのでしょうか?
そして、どれほど意味のあることなのでしょうか?
日本の衆議院選挙で白票は無効票に数えられます。白票を投じても「吊られた男」と書いても「今の政治に不満を持つ」と書いても「焼肉定食」と書いても同じ無効票です。これらはまとめて「無効票1,000票」のようになります。
さて、その時に「白票=支持したい候補者がいないという抗議の意」という意見はどこに反映されているでしょうか。
1,000票は無効票ですから抗議とは言えません。「吊られた男」と書かれた票だってあるかもしれませんし、佐藤一郎候補と鈴木次郎候補がいる中で「佐藤次郎」と書いたように間違えて無効になったモノもあるでしょう。
また、白票と落書きは違うと言っても、白票の中でも抗議以外の別の意味を込めた票があるかもしれません。複数の候補者を応援しているが1人を選べないという理由からの白票(無効票)があるかもしれません。「白票=好きすぎてどちらも選べない、もしくは、どちらであっても白紙委任」のような意味です。
無効票の裏側にはそれぞれに人間ドラマがあります。
・おふざけでの無効票
・間違えてしまっての無効票
・選べないからの白票
・抗議の意味での白票
・白紙委任の白票
無効票は無効票であり、そこに色はつきません。(いろいろな意図で投票している人がいる以上、賛成の意だとか抗議の意だとか勝手に色を付けるのは傲慢です)
魅力的な候補者がおらず、積極的に支持したくないという気持ちは痛いほどわかります。しかし、白票は抗議の意を示したことにはなりませんし、「魅力的な人がいないから選択しない」で未来は開けるのでしょうか。
仕事でも魅力的な取引先がないからと言って、どことも取引しないで、ただ魅力的な取引先が出てくるのを待ち続けるではビジネスはやっていきません。いろいろ不満がありながらも仕事を続けていくにはどこかを選ばなくてはいけません。
選挙も同じです。選挙で白馬の王子様を待ち続けていてもいつまで経っても来ないかもしれません。そうしているうちにロクでもない組織に支えられた政治家たちに国をめちゃくちゃにされてしまうかもしれません。
白馬の王子様は来なくても、せめてそのような悪徳政治家に権力を握らせないようにしてもよいのではないでしょうか。
例えば、世間一般での評判は悪いが地元の組織票をとれるような大物議員のケースを想定します。
1. 悪名高いが組織票は取れる議員
2. ボンクラ対立候補
このような2人の候補者ならどちらも"支持"したくありません。しかし、積極的に支持できないからといって白票を投じたり投票を棄権すれば、組織票の力で「1. 悪名高いが組織票は取れる議員」が再選してしまいます。
一方、白票などを投じずに「1. 悪名高いが組織票は取れる議員」を落とすために、「2. ボンクラ対立候補」に投票すれば、「1. 悪名高いが組織票は取れる議員」を落とすことができるかもしれません。
白票/棄権多数で「1. 悪名高いが組織票は取れる議員」が再選するケースでは、ある意味、白票投票/棄権した人に原因の一端があります。その人たちが対立候補に投じていれば、せめて彼を国会に送らないことはできたかもしれません。(その対立候補がロクでもないことをしでかすという可能性はありますが)
積極的な支持は無くてもダメな奴は落とすという投票方法は、政治家に対しては白票を投じる以上に国民に支持される政治をしないといけないというプレッシャーになり得るでしょう。
●おまけ:「白票が増えれば、それが問題視されてくるはず」という意見について
政治家は選挙に落ちればただの人、政治家が頭を下げるのは選挙だけ、とも言われるように彼らの眼中にあるのは政治家で居続けることです。特に政治家に絶望したと言っている人がいうようなロクでもない政治家たちばかりならなおさらでしょう。
そんな彼らが自分が勝ちやすい(無党派層が眠ってくれている)状況を是正するために動いてくれると考えるのは楽観的すぎないでしょうか。
今の"素晴らしい"日本の政治では、積極的に支持できる政党や候補者がいないという意見もよく聞きますし、同意します。
そんな中、気になるのは「選挙で支持したい人がいないから抗議の意を込めて白票を投票する」という意見。「選挙制度そのものは否定せず参政権は行使するが、ロクな候補者がいないので選べない」→「白票=支持したい候補者がいないという抗議の意」というのが主な主張です。
この認識は正しいのでしょうか?
そして、どれほど意味のあることなのでしょうか?
日本の衆議院選挙で白票は無効票に数えられます。白票を投じても「吊られた男」と書いても「今の政治に不満を持つ」と書いても「焼肉定食」と書いても同じ無効票です。これらはまとめて「無効票1,000票」のようになります。
さて、その時に「白票=支持したい候補者がいないという抗議の意」という意見はどこに反映されているでしょうか。
1,000票は無効票ですから抗議とは言えません。「吊られた男」と書かれた票だってあるかもしれませんし、佐藤一郎候補と鈴木次郎候補がいる中で「佐藤次郎」と書いたように間違えて無効になったモノもあるでしょう。
また、白票と落書きは違うと言っても、白票の中でも抗議以外の別の意味を込めた票があるかもしれません。複数の候補者を応援しているが1人を選べないという理由からの白票(無効票)があるかもしれません。「白票=好きすぎてどちらも選べない、もしくは、どちらであっても白紙委任」のような意味です。
無効票の裏側にはそれぞれに人間ドラマがあります。
・おふざけでの無効票
・間違えてしまっての無効票
・選べないからの白票
・抗議の意味での白票
・白紙委任の白票
無効票は無効票であり、そこに色はつきません。(いろいろな意図で投票している人がいる以上、賛成の意だとか抗議の意だとか勝手に色を付けるのは傲慢です)
魅力的な候補者がおらず、積極的に支持したくないという気持ちは痛いほどわかります。しかし、白票は抗議の意を示したことにはなりませんし、「魅力的な人がいないから選択しない」で未来は開けるのでしょうか。
仕事でも魅力的な取引先がないからと言って、どことも取引しないで、ただ魅力的な取引先が出てくるのを待ち続けるではビジネスはやっていきません。いろいろ不満がありながらも仕事を続けていくにはどこかを選ばなくてはいけません。
選挙も同じです。選挙で白馬の王子様を待ち続けていてもいつまで経っても来ないかもしれません。そうしているうちにロクでもない組織に支えられた政治家たちに国をめちゃくちゃにされてしまうかもしれません。
白馬の王子様は来なくても、せめてそのような悪徳政治家に権力を握らせないようにしてもよいのではないでしょうか。
例えば、世間一般での評判は悪いが地元の組織票をとれるような大物議員のケースを想定します。
1. 悪名高いが組織票は取れる議員
2. ボンクラ対立候補
このような2人の候補者ならどちらも"支持"したくありません。しかし、積極的に支持できないからといって白票を投じたり投票を棄権すれば、組織票の力で「1. 悪名高いが組織票は取れる議員」が再選してしまいます。
一方、白票などを投じずに「1. 悪名高いが組織票は取れる議員」を落とすために、「2. ボンクラ対立候補」に投票すれば、「1. 悪名高いが組織票は取れる議員」を落とすことができるかもしれません。
白票/棄権多数で「1. 悪名高いが組織票は取れる議員」が再選するケースでは、ある意味、白票投票/棄権した人に原因の一端があります。その人たちが対立候補に投じていれば、せめて彼を国会に送らないことはできたかもしれません。(その対立候補がロクでもないことをしでかすという可能性はありますが)
積極的な支持は無くてもダメな奴は落とすという投票方法は、政治家に対しては白票を投じる以上に国民に支持される政治をしないといけないというプレッシャーになり得るでしょう。
●おまけ:「白票が増えれば、それが問題視されてくるはず」という意見について
政治家は選挙に落ちればただの人、政治家が頭を下げるのは選挙だけ、とも言われるように彼らの眼中にあるのは政治家で居続けることです。特に政治家に絶望したと言っている人がいうようなロクでもない政治家たちばかりならなおさらでしょう。
そんな彼らが自分が勝ちやすい(無党派層が眠ってくれている)状況を是正するために動いてくれると考えるのは楽観的すぎないでしょうか。
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平和な地球に してください。失礼致しました。