日経新聞オンライン版でもトップで『就活生は見た あきれた面接官】という特集記事がありました。

日経新聞の記事では以下のような事例が紹介されています。
 ・「ゆとりだから〜」と説教を始める面接官
 ・居眠りをしてしまう面接官
 ・途中でたばこを吸いに離席する面接官
 ・同じ質問を2度繰り返す面接官
 ・遅刻してくる面接官

確かにオイオイと思う事例です。そして、この手の特集や本はいくつもあります。面接官バージョンだけではなく就職活動をする学生のおバカ行動を集めたものがあります。
読み物としては非常に面白い。「そりゃダメすぎだろ…」と思ってツッコミながら楽しく読ます。そういう分には非常によいのです。

しかし、就活問題を解決しようとする場合には、ほぼ無価値です。むしろ有害ですらあります。

学生のおバカな事例を紹介→学生は無能→無能だから就職難になっている

これは学生バージョンですが、企業/面接官の場合も同じでバカ事例を持ち出して「企業がだらしないから・・・」というのは典型的なスタイルです。

上は「AはXである。だからその母集団も同じくXである」という推論ですが、このアプローチは大きな問題です。ごく少ない少数の事例を一般化してしまう少数の法則に陥っています。

(例1)ある日本人が自分の欲のために殺人を犯した → 日本人はみんなが殺人を犯す殺す民族だ
(例2)ある企業は考える力を求めていなかった → 企業はみんな考える力を求めていない

共に「AはXだ。だからAの母集団も同じくXだ」というロジックです。これは正しいでしょうか?
例1を見ればそのおかしさが分かるかと思います。
日本では年間で約1000件の殺人事例がありますから惨い殺人事例は簡単に提示できます。しかし、いくつかの惨い殺人事例があるからといって日本人全体がそうだと一般化できません。

就職活動においても同じことが言えます。

毎年、大学卒業生だけでも何十万人という学生が活動します。1人の学生が何十社受けることを考えると、企業と学生の接点の数はのべ数千万規模です。
これだけの接点があれば、その中でおバカなエピソードはいくつか見つかります。数千万の接点がすべて素晴らしく問題ない内容だったなんてことはあり得ないでしょう。
自分の書いたエントリーシートの内容を覚えていない学生もいれば、ドタキャンで連絡もなしに面接に来ない学生もいるでしょう。
口の聞き方がなっていない態度がでかい面接官もいれば、的外れな質問をする面接官もいるだろう。

それが当然のことです。
就活も面接官も神でもなければパーフェクト超人でもありません。ただの卒業見込みの学生とただのサラリーマンであり、人間です。

2-6-2の法則などともいわれますが、どんなに優秀な人間たちだけを集めても、その集団ではある一定数のロクでもない人間が生まれるといいます(2-6-2の法則の場合は下位20%)。
そこがダメだといって全体を否定することは正しいアプローチではありません。

バカ面接官の事例もありますが、30社受けて数社はバカ面接官がいたかもしれませんが30社ともバカ面接官だったということはないでしょう。
面接官にしても100人面接すれば数十人はおバカ学生でしょう。でもそんなものです。
そんなおバカは無視しておバカではないところで話を進めればいいのですし、進めるしかありません。おバカ学生/企業を0にすることは現実的に不可能です。

あまりに過剰な相手に極度な損害を与えるようなケースは個別に糾弾されるべきでしょうが、基本的には全体としての動きを見るべきです。
「必ず学生の能力/適正順に応じて内定が決まっているか」というのではなく、「全体として学生の能力/適正に応じた内定状況という傾向があるか」を語るべきであり、あとはその精度を如何に高めていくかという話でしょう。


企業や学生のおバカな個別事例を挙げて批判することはやめてはいかがでしょうか。(ネタとしていじるのは有り)


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