(この際、この機会に一気にシリーズで書いておこうと思っています)
やはり、毎月分配投信支持論がおかしく感じられます。
「将来は分からない」「結果が全て」という意見がありますが、これは違うでしょう。
結果が全て
その時点の判断の良し悪し評価を否定し、最終成果の「儲かったか」という結果だけで判断する主義者は日常生活でどうしているのだろうか?
【こどもが宿題をやるかの是非も問えない。宿題をやらなくても人生に成功することもあるから。人生の結果が出ないと小学校の宿題をやるべきかも分からない。】
【期限内でも食中毒を起こすこともあり、期限切れでも食中毒にならないこともある。だから賞味期限切れを出されても食中毒にならない限り文句を言うべきではないし、食べる時点では賞味期限内でも賞味期限切れでもどちらでもよい。将来はどうなるか分からないから。】
結果で判断するということはこのような判断になりそうですが、このような考えで日常を過ごしているのでしょうか?
結果のみ主義者は現状の状況判断を一切否定していることになり、思考停止ではないでしょうか。
将来が分からないという方便
確かに将来は分かりません。しかし、今の時点で判断をするときにはその時点での情報で有利/不利の判断はできます。
明日にオバマ大統領が殺されるかは分かりません。しかし、これが実現するかしないかという賭け(オッズは同じ)にお金を賭けるなら実現しない方に賭けるのが有利でしょう。将来は分からない(殺される可能性は0ではない)からどちらに賭けるのが有利かは分からないというのは詭弁でしょう。
そのような人は仮にこのギャンブルをやらなくてはいけないときに、どっちに賭けても同じだというのでしょうか?
投資においても何が儲かるかという将来は決まっていませんが、事前判断の良し悪しは存在します。
投資は儲けるためにやるものです。では儲けるという将来の結果を残すために今できることは何でしょうか?(今を無視し、結果だけにこだわる人は、今何をすべきかという視点が欠如しています)
儲かるためには儲かりそうな商品や仕組みを選ぶのが良いはずです。
仕事でも仕事を成功させるには、成功しそうな手順を探して実行するでしょう。「どんな手順でも将来は分からないからどんな方法でもいいよ」なんてことはないはずです。
それならば、ロトのように胴元の取り分が多い商品などは極力避けるべきでしょう。
つまり、「儲けるが勝ち」のために現時点でできることは「儲けるために有利な商品や手法を採用すること」です。
大事なのは事実に目を向け、その事実を元に判断することです。
競馬や宝くじをやることは否定しません(私も長年の競馬ファンです)。ただ、投資/ギャンブルとして儲かりにくいという事実は受け入れるべきでしょう。自らが投資しているものの欠点への指摘に耳を貸さず理解しようとしないことは関心しません。
無分配型の投資信託も信託報酬というコストがかかってしまうというマイナス面があります。これを受け入れた上での総合的メリットがあるかという話をしなくてはいけません。(だから実現可能性があって手間が低いなら、個別分散が有利とも言えます)
投資は自己責任であり、どういう投資をしようと個人の自由です。
しかし、「自分の投資方法の欠点を認めた上で、自由に投資をすること」と「将来は分からないし、自分の方が上手くいく可能性もあるだろう。個人の自由だから文句を言うな」は全くの別物だと考えます。
(これにていったん完結予定)
やはり、毎月分配投信支持論がおかしく感じられます。
「将来は分からない」「結果が全て」という意見がありますが、これは違うでしょう。
結果が全て
その時点の判断の良し悪し評価を否定し、最終成果の「儲かったか」という結果だけで判断する主義者は日常生活でどうしているのだろうか?
【こどもが宿題をやるかの是非も問えない。宿題をやらなくても人生に成功することもあるから。人生の結果が出ないと小学校の宿題をやるべきかも分からない。】
【期限内でも食中毒を起こすこともあり、期限切れでも食中毒にならないこともある。だから賞味期限切れを出されても食中毒にならない限り文句を言うべきではないし、食べる時点では賞味期限内でも賞味期限切れでもどちらでもよい。将来はどうなるか分からないから。】
結果で判断するということはこのような判断になりそうですが、このような考えで日常を過ごしているのでしょうか?
結果のみ主義者は現状の状況判断を一切否定していることになり、思考停止ではないでしょうか。
将来が分からないという方便
確かに将来は分かりません。しかし、今の時点で判断をするときにはその時点での情報で有利/不利の判断はできます。
明日にオバマ大統領が殺されるかは分かりません。しかし、これが実現するかしないかという賭け(オッズは同じ)にお金を賭けるなら実現しない方に賭けるのが有利でしょう。将来は分からない(殺される可能性は0ではない)からどちらに賭けるのが有利かは分からないというのは詭弁でしょう。
そのような人は仮にこのギャンブルをやらなくてはいけないときに、どっちに賭けても同じだというのでしょうか?
投資においても何が儲かるかという将来は決まっていませんが、事前判断の良し悪しは存在します。
投資は儲けるためにやるものです。では儲けるという将来の結果を残すために今できることは何でしょうか?(今を無視し、結果だけにこだわる人は、今何をすべきかという視点が欠如しています)
儲かるためには儲かりそうな商品や仕組みを選ぶのが良いはずです。
仕事でも仕事を成功させるには、成功しそうな手順を探して実行するでしょう。「どんな手順でも将来は分からないからどんな方法でもいいよ」なんてことはないはずです。
それならば、ロトのように胴元の取り分が多い商品などは極力避けるべきでしょう。
つまり、「儲けるが勝ち」のために現時点でできることは「儲けるために有利な商品や手法を採用すること」です。
大事なのは事実に目を向け、その事実を元に判断することです。
競馬や宝くじをやることは否定しません(私も長年の競馬ファンです)。ただ、投資/ギャンブルとして儲かりにくいという事実は受け入れるべきでしょう。自らが投資しているものの欠点への指摘に耳を貸さず理解しようとしないことは関心しません。
無分配型の投資信託も信託報酬というコストがかかってしまうというマイナス面があります。これを受け入れた上での総合的メリットがあるかという話をしなくてはいけません。(だから実現可能性があって手間が低いなら、個別分散が有利とも言えます)
投資は自己責任であり、どういう投資をしようと個人の自由です。
しかし、「自分の投資方法の欠点を認めた上で、自由に投資をすること」と「将来は分からないし、自分の方が上手くいく可能性もあるだろう。個人の自由だから文句を言うな」は全くの別物だと考えます。
(これにていったん完結予定)
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結局、前の前のエントリーで他の方が書かれていますが毎月分配型の分配金を預貯金の利息代わりと思えるところなのがこのような論の発端なのかと。
言葉が悪いですが他の話は正当化するこじつけ、思い込みに近いものではないかと。だから投資という視点で見ると論理的にあれ?と思うようなことがあるのかなと。
私自身、実行してしまったことを悔やみつつも正当化したいというのはあります。そんな状況なのかなと…違うかな。