子ども手当を題材にして、「用途別支援が狙った通りの効果を残せるわけではない」という話をしてきました。
※そういえば子ども手当 - その2
※[子ども手当]バウチャー等の用途限定は無意味
この話の本題は、アフリカなどへの援助です。
【参考】
アフリカ諸国では貧困が大きな問題です。ここへ世界が支援をします。
その時に「無条件でお金を渡すと支配者層の好きなように使われてしまって、貧しくて困っている人たちへはほとんど何も届かないことがあるからダメだ。インフラ整備や学校建設や農地拡大など特定用途にしか使えないようにしよう」と用途を限定した支援方法があります。国連主導のミレニアムプロジェクト等でも行われている支援方法です。
しかし、これが意味が無くダメだと『傲慢な援助』では散々にこき下ろされています。
アフリカへの用途を限定した支援も子ども手当の用途制限で危惧されていることと同じ現象が発生します。
支援が無くても、インフラ整備にも国庫から予算が割り振られていました。乏しいといわれながらも教育や食糧配給や農地支援の予算はゼロではありません。
そこに諸外国がその用途でお金を配ってくれた時に支配者はどう考えるか?
インフラ整備や教育のため支援資金を使えるので、従来国家から割り当てていたお金を減らします。その分だけ自分の懐に入れてしまったり、軍事費を増強して少数民族を弾圧の手をさらに強めたりします。結局はただの玉突き現象が起こって増えるのは権力者の取り分や抵抗勢力を弾圧する資金です。
国連などは、自分達が支援したお金が正しくインフラ整備や教育などに使われているので、満足です。その用途目的が限られた制度の中だけを見れば綺麗にお金が使われています。
しかし、実情はどうか。インフラや教育にかかる予算は増えず、権力者が豊かになって軍事費が増えて弾圧の圧力が強まっただけです。
このように用途を限定して支援をすれば効果が出るわけではありません。本当に効果を出そうとするのであれば全体をコントロールする必要があります。国際支援も国家予算も合わせて全部でいくらをどこに割り当てるかをコントロールできないとこのやり方はうまくいきません。しかし、強力な内政干渉になるので、そこまでやるのは難しいでしょう。
参考として挙げた『傲慢な援助』には、これでもかというくらいこの手の事例が挙げられています。
※そういえば子ども手当 - その2
※[子ども手当]バウチャー等の用途限定は無意味
この話の本題は、アフリカなどへの援助です。
【参考】
アフリカ諸国では貧困が大きな問題です。ここへ世界が支援をします。
その時に「無条件でお金を渡すと支配者層の好きなように使われてしまって、貧しくて困っている人たちへはほとんど何も届かないことがあるからダメだ。インフラ整備や学校建設や農地拡大など特定用途にしか使えないようにしよう」と用途を限定した支援方法があります。国連主導のミレニアムプロジェクト等でも行われている支援方法です。
しかし、これが意味が無くダメだと『傲慢な援助』では散々にこき下ろされています。
アフリカへの用途を限定した支援も子ども手当の用途制限で危惧されていることと同じ現象が発生します。
支援が無くても、インフラ整備にも国庫から予算が割り振られていました。乏しいといわれながらも教育や食糧配給や農地支援の予算はゼロではありません。
そこに諸外国がその用途でお金を配ってくれた時に支配者はどう考えるか?
インフラ整備や教育のため支援資金を使えるので、従来国家から割り当てていたお金を減らします。その分だけ自分の懐に入れてしまったり、軍事費を増強して少数民族を弾圧の手をさらに強めたりします。結局はただの玉突き現象が起こって増えるのは権力者の取り分や抵抗勢力を弾圧する資金です。
国連などは、自分達が支援したお金が正しくインフラ整備や教育などに使われているので、満足です。その用途目的が限られた制度の中だけを見れば綺麗にお金が使われています。
しかし、実情はどうか。インフラや教育にかかる予算は増えず、権力者が豊かになって軍事費が増えて弾圧の圧力が強まっただけです。
このように用途を限定して支援をすれば効果が出るわけではありません。本当に効果を出そうとするのであれば全体をコントロールする必要があります。国際支援も国家予算も合わせて全部でいくらをどこに割り当てるかをコントロールできないとこのやり方はうまくいきません。しかし、強力な内政干渉になるので、そこまでやるのは難しいでしょう。
参考として挙げた『傲慢な援助』には、これでもかというくらいこの手の事例が挙げられています。
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