最近は日本の財政状況が厳しいせいもあり、富の分配に関してやや殺伐とした雰囲気の議論が多くなっています。いつの時代も反対意見はありますが、経済状況が悪くなると批判が増えるのはどの社会でも同じことで日本でもまさにそれが起こっています。

・逃げ切り世代への批判
・子ども手当に対する批判
・正社員への批判
・生活保護受給者への批判
・etc

そんな中でジワジワと広まりつつあると感じるのが「受益者負担の原則」。10年ほど前から「自己責任」という言葉も広まりだし、それと親和性の高い「受益者負担の原則」も幅を利かせてきたという印象です。


「受益者負担の原則」はある見方に立つと筋が通っています。そのサービスを利用して便益を得る人が負担すべきというのは至極真っ当な意見です。しかし、最近はこれが拡大解釈されぎみになりつつあるのではないでしょうか。

橋や公園といった公共財にまで「受益者負担の原則」を適用しろというような意見も聞こえてきます。確かに、ある地域の人しか利用しないような橋や公民館や公園のために、利用しない人の税金が投入されていることに納得感が無いという意見も頷けます。「自身がそのサービスから利益を受けるんだから利益を受ける人が払ってくれ」と言いたくなる気持ちもあるでしょう。

しかし、これをどこまで適用すべきでしょうか?純粋公共財にまで「受益者負担の原則」を適用することは難しいところですが、医療や公的教育程度には「受益者負担の原則」を適用できそうです。
「たくさん病院にかかって多くの治療を受けている人がたくさん払うべきで、ほとんど病院に行かない人が健康保険料を徴収されるのは割に合わない」。確かにそういう気持ちも分かります。公的教育に当てはめれば、「学費をタダにする必要はない。教育を受けた人が後でよい仕事にありつけたりするという利益を得るのだから学費を取ればいい」なんて意見も聞こえてきそうです。

どこまで「受益者負担の原則」を広げていくべきなのでしょうか?
あまり広げすぎるべきではないというのが、私の意見です。

「受益者負担の原則」が広がった世の中は殺伐としすぎていると思いませんか?何をやるにしろ全部自立して自分で賄わなくてはなりません。病気になった時のために自分でお金をプールしておかなくていけません。カッコよく言えば各自が自立した社会でしょうが、本質は分割された社会でしょう。そんな「自己責任」な世の中よりも、皆である程度お金をプールしておいて困った人が出たら、そこから助けるような世の中の方が豊かな社会だと思いませんか?
これに対してフリーライダーも出るという批判もあります。でもある程度のフリーライダーがいてもいいでしょう。そのようなフリーライダーが出てくるというマイナス面より社会全体が受ける恩恵が多ければいいのです。
「安心感がある社会」の便益は今の平均的日本人が思っている以上に大きいはずです。義務教育が原則タダであること、ある程度の医療保険があること、保育園に税金補助があって利用料が安く抑えられていること、年金があること・・・これらの安心感(年金は不安材料?)があることで社会が上手く回るという効果があります。

「公共教育にかかる税金をなくすかわりに、小学校や中学校の学費を全額自己負担」ともなれば、理屈の上ではお金の総量は減らないので減った税金分で学費を負担できるはずですが、現実的には学費が全額自己負担となれば子どもを生む親は減るでしょう。


「受益者負担の原則」
いい響きがする言葉ですが、危険な言葉です。


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