GDPとGNP

今は当たり前のように各国の経済規模を図る時にGDPを使っていますが、昔はGNPが使われていました。最近の若い世代はGNPなど知らないのでしょうか。
 ・GDP (Gross Domestic Product/国内総生産)
 ・GNP (Gross National Product/国民総生産)
さらにGNPは無くなり、近い概念としてGNI (Gross National Income/国民総所得)になっています。なお、本エントリーではGNP≒GNIとして考えます。

経済規模の拡大が絶対的な善ではありませんが、経済規模が大きくなればそれだけ富の総量が増えるのですから、貧しい人まで富が行き届く可能性が多くなります。そうすると経済の拡大は極めて有効な政策です。
しかし、その時の指標としてGDPは適切なのでしょうか?


GDP≠国民の富

GDPは国内総生産ですから、日本国内の経済規模を表します。
極端な話をすれば、日本という国家さえあれば国民はその踏み台でも構わないというのがGDP拡大です。日本国内が外国人だらけになり彼らによって多くの経済活動が行われ、日本人はごく一部だけになってもGDPは拡大します。例えば、外国人移民を増やし、永住権や参政権を与えて日本国内が潤えば、GDPは拡大します。
GDPは誰が富を所有しているかは問いません。「日本のGDP≠日本人の富」です。
国内の経済規模を大きくすることが国家の目指すべき方向かというと違和感があります。


国家が目指すべきは国民の幸せ

一方、GNPは国民総生産です。GDP同様に極端な話をすれば、日本国内の経済活動は停滞していても、日本人が海外に進出してそこで裕福に暮らしていれば、拡大します。

国家にとって一番重要なのは何でしょうか?
私は国民だと思います。

例え、自国に住んでいなくても豊かに生活できれば幸せを感じるのが人間というモノです。国家が守るべきは国民の生活ではないでしょうか?


国民の幸せは国内とは限らない

このように考えると、今の日本の政策は変な呪縛にとらわれているように思えてきます。
「国内の日本人の雇用を守ろう」のように日本という土地と国民が結びついてしまっています。しかし、これは政策の選択肢を狭めるだけでチャンスも失ってしまいます。
世界では、それなりの数の国民が外国で就職する国もあります。例えばニュージーランド人でオーストラリアで働くことは珍しい話ではありません。
国内に職が無ければ、外国に目を向けてもいいはずです。

今の日本は、確かに日本の国土に多くの日本人が住んでいます。外国で就職する人が例外であって、国内雇用を王道としています。今後もこの路線で職があるならいいのです。
しかし、職が無いというのであれば、ニュージーランド人のように国外に目を向けてもいいのではないでしょうか?
国家も日本人の雇用を守るためにさまざまな規制や障壁を作るのではなく、彼らが国外で職を得られるようにするという政策があってもいいのではないでしょうか。

「国民が豊かに暮らせる」を目標に置いた時、経済指標としてGDPではなくGNP(GNI)という概念が戻ってきてもいい気がしています。