最近の地震や福島原発に対する日本政府や東京電力のリーダー達を見て、苛立ちを覚えている人が多いと思います。この不満は立場と責任の不一致からきているのではないでしょうか。
首相にはその立場に応じた責任があります。東京電力など企業の社長や経営陣も同様です。首相や東京電力のリーダー達への不満は、立場に付随した責任が果たされていないからでしょう。

とはいえ、このエントリーは首相や東京電力の話ではありません。
※必ずしも日本に限った話ではありませんし、日本の全てがそうだとは言いませんが、以下は一般的な傾向の話です

「出世なんてしなくて良い、一生平社員で構わない。」と言う若者が増えていて、やる気が無いというレッテルを貼られもしていますが、このような若者の方が責任感が強いのかもしれません。

昔の日本の大企業の多くでは、ほとんどの平社員は課長になることを喜び、課長は部長になることを喜び、部長は取締役・・・と上の役職を目指すことが当然という風潮がありました。そのような人たちが「出世なんてしなくていい」という若者の声を聞いて、「最近の若者はやる気が無い」と言いたくなるのかもしれません。しかし、少し考えるとこれは必ずしも正しくないとも言えそうです。

課長という職業には課の長という立場に応じた責任があります。部長は部の長ですからその責任があります。「私はその責任を引き受ける。何かあれば私の責任だ」と受け入れることが長になることです。
特に近年では「企業責任」「コーポレートガバナンス」といった企業の責任に対する言葉や「自己責任」と個人に対しても責任を求めるような言葉も広まっています。責任への意識が上がっています。役職アップはただの給料アップや権利拡大だけではありません。
あるセミナーで講師の方が「課長や部長が高い給料を貰っているのは、何かあった時に責任を取ってもらうため」とも言っていましたが、その通りです。

旧来の出世競争に邁進して経営陣や管理職になった人たちは、その役職につくときに、どれだけそのポジションの責任を意識していたのでしょうか。
「私の企業はこのような事業を行っており。自分の担当するエリアはこれだけの責任を負っている。何かあったらその責任は自分が引き受けることになる」という覚悟を持っている人がどれだけいるか。少し怪しいものです。


「出世なんてしなくて良い、一生平社員で構わない」という若者は「管理職になると責任とか重くて嫌だ」のように言います。これを「やる気がない」と断じるのは簡単ですが、実は仕事についてより真剣に考えているとも言うこともできそうです。