群馬県の児童相談施設にタイガーマスク(伊達直人)からランドセルが届けられたことをきっかけにした寄付活動が世間を賑わせています。
一方、世間ではすでに注目度は下がってしまいましたが、自分が申し込んだこともあって東京マラソンのチャリティー枠ランナーが我が家を賑わせています。(チャリティー枠ランナー = 10万円以上寄付すると先着1000名で東京マラソンに参加できる)

この2つの寄付に関連して思うのですが、日本でももっと寄付した人に報酬を与えませんか?

よく言われることですが日本では寄付はマイナーな存在です。私は寄付文化はもっと拡大していくべきだと考えています。

日本では名前を出すと「売名行為だ」とか、報酬を与えると「カネで○○で買うのか?」と文句がでます。こういうことは止めませんか?
無名で何のメリットもないのにコツコツ寄付がかっこいいと思っている人もいるかもしれませんが、それでは寄付する気になる人は多くない。寄付をする人も人間ですから何かインセンティブが必要です。

東京マラソンのチャリティー枠へ「カネで参加権を買うのか」といった非難をする人もいますが、いいではないですか。東京マラソンのサイトにも書いてありますが、ロンドンマラソンに代表される海外のマラソンではチャリティー枠は当たり前のこととなっています。
寄付金を払った人は有名ミュージシャン達が参加するコンサートを聴けるというチャリティーコンサートも世界的に多数あります。これは極めて健全な行為だと思うのです。確かに金を払うことでコンサートを聴く権利やマラソンを走る権利を手に入れています。これはいけないことでしょうか?寄付をした人にはこれくらいの報酬があってもいいでしょう。

タイガーマスク騒動も同じです。物理的なインセンティブではありませんが、タイガーマスクなどの名前を使うことでマスコミなどに取り上げられて注目されることやタイガー祭り騒動祭りに参加するというインセンティブがあります。細々と活動している団体への無記名の寄付では話題にもならないので、寄付活動そのものが無かったかもしれません。

「武士は食わねど高楊枝」として何の見返りも求めない"集まらない"寄付活動にするか、寄付者にちょっとした見返りを与えることで"集まる"寄付活動にするか。これには好き嫌いがあるでしょう。
私なら功利主義者と言われても後者を取ります。寄付が必要な人たちにとっては寄付が集まることが大事であり、「武士は食わねど高楊枝」では意味がありません。

タイガーマスク騒動は一過性で終わりそうですが、このタイガーマスク騒動や東京マラソンのチャリティー枠のように寄付者へ何らかの見返りがある寄付がもっと推奨されてもいいのではないでしょうか。