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「億り人」

主に(金融資産)1億円を超えた人を呼ぶときに使われます。マネー関係の話をする際,わざわざ注釈を付けなくても通じるようになってきました。

金融資産が1億円超もあるとだいぶ資金的には余力が出てきて,お金のために働かなくてよく「経済的自由を手に入れた」と言われることもあります。
実際に,十分な資産があることを裏付けにしてセミリタイアやアーリーリタイアしている人もいます。(もちろん,そんなに金融資産がなくても節約によってセミリタイアやアーリーリタイアしている人もいます)

まさにお金のために働くことをやめた人たちです。

それはそれでいいのですが,その中でちょっと気になるタイプがあります。やたらと自分の資産額や運用成績を自慢しがちな人です。

以下は私の持論ですが,人が自慢をすることは,その人にとって一番誇らしいことと思っています。

学歴自慢をするおっさんはその学校に行ったことが人生の頂点であり,社会人生活でそれ以上に誇れることは無いと解釈しています。
昔の仕事や肩書を自慢する人は,今は大した仕事をしていないということを自白しているようなものです。俺は昔あの有名企業で本部長だったとか威張っても駄目ですし,何十年も前の伝説のディーラーという肩書きを自慢しているようでは自らオワコンと言っているようなものです。


ちょっと話が逸れました。時を戻そう。

「自分の資産額や運用成績を自慢しがちな人」の話でした。
「自分の資産額や運用成績を自慢しがちな人」とかけて「人が自慢をするのはその人にとって一番誇らしいこと」と解くと,「お金が自慢」になります。


みんなに認めてもらえそう(社会的承認が満たされそう)なアピールポイントがお金の多さというのは「お金>自分の人間的魅力」と宣言しているようにも見えてしまい,自身の存在意義がお金に依存している(縛られている)ように思えるのは私だけでしょうか?
この辺りは自身の価値観の問題になるので,必ずしもこれが正解というものはないでしょうが,少しさみしくないかいと思うところです。

せっかく、お金のために嫌な仕事したりする必要がなくなったのですから,自身のアイデンティティ=お金ではなく,社会的承認がお金以外で満たされるようになると経済的的に自由になったと言えそうな気がします。


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