世の中には自分(やその仲間)を標準として基準に考えて意見を述べる人が結構います。多くの人が無意識的にそういう傾向があるが、特にその傾向が強い人と言った方がより正確でしょうか。

それが時にウザい、というか感心できない。

ブラック企業批判への反論としての「嫌なら止めればいい」論は人間を分かっていないでは労働の話を書きました。元ライブドアトップのホリエモンこと堀江氏など「ブラックなら辞めちゃえばいいじゃん」と簡単に言える人がいますが、そう簡単にできない人も結構います。
「自分ができる/やっている=他の人もできる/やっている」というのはあまりにも想像力が貧困すぎます。

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以下は想像力が貧困な非常に残念な例

これは実は有名人に限りません。ささやかにつつましく暮らしている風な庶民にもこの臭いを感じることがあります。

例えば、良いことのように思える倹約/節約です。
「月X円で生活」「年Y円で生活」とつつましく生活すること自体は何ら問題ありません。
が、「節約できない人は愚かである」かのような発言をしだすと突然に怪しくなります。節約できている人はそういう能力を身につけた人でできるのでしょうが、世の中にはそれを簡単ではない人がたくさんいます。
世間の標準を知らない、もしくは意識しないでいると上の例のように残念な人になってしまいます。

投資家の世界も同じです。
こうやって投資ブログを書いていてそのコミュニティの中で話をすると、それなりに投資に関する知識は高い集団になります。しかし、一般論を語るときにそれを基準にして評価してはいかんのです。
世間一般的には投資信託の詳しい仕組みなど分かっていない人が多数いるわけで、彼らを基準にして制度などは作られるべきであり、「投資信託なんて全部自分で勉強して理解すればいいんだよ。そうすれば営業トークで買っちゃったなんてことはないさ。営業がおかしなことを言っていたとしてもそれを鵜呑みにする奴が情弱」というのはダメ。



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