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書いておきます…

担任、息子の入学式へ…高校教諭勤務先を欠席、教育長が異例の注意(埼玉新聞)

高校の先生が自分の子どもの入学式に出るために、仕事(入学式)を休んだことに批判が出ているようです。が、ちょっと違うんじゃないかというのが私の意見です。


子どもの気持ちを無視しているのはどっちだろう

来賓として入学式に出席した江野幸一県議(刷新の会)は「担任の自覚、教師の倫理観が欠如している。欠席理由を聞いた新入生たちの気持ちを考えないのか。校長の管理責任も問われる」と憤慨。
この意見こそが大人のエゴじゃないのか。
「担任の先生の子どもの入学式(節目のイベント)と自分の入学式が重なった時、先生は子どもの入学式なんかに行かずにあなたたちの式に出ることが教師として当然の義務だと思いますか?」

このように子どもたちに聞いてみたらどういう結果になるでしょうか。

先生の子どもの入学式に行かせないことを良く思わない子どもたちは結構いるのではないか。

私が教え子で、その先生の子どもの入学式や卒業式が自分の式とバッティングしているなら先生にはそっちに行ってほしいですよ。先生が子どもの入学式を休んでここにきている…ということを知ってしまったらそっちの方が嫌な気持ちになります。「先生、おれたちの入学式なんていいから子どもの式に行ってあげなよ」です。
そりゃ、何の理由もなくただの私用で休みますというのはちょっと待て…ですが、子どもの入学式ならいいですよ。

こういう話は小学校の運動会などと同じ臭いを感じます。入場や退場などをひたすら練習させられました。子どもとしてはつまらない。本番前に何度もあんな練習をするのは本番できれいにそろった入場行進ができるということでしょうが、エゴだよ、それは。
美しくそろった入場などが見たいのは大人の事情。入学式に全員が揃っていてほしいというのも子どもの要望ではなく大人達のエゴでしょう。
理由もなく入場行進を乱したり式を欠席したりされるのは勘弁してほしいですが、それを美しく仕上げるために参加者に無理をさせるのは嫌。


●自分の子どもを大事にしないような人に子どもを任せたいの?

「入学式をほっぽらかすような責任感のない人は信用ならない」というような声もありますが、そんなもんでしょうか?

子どもの立場からすれば親が仕事を休んででも自分の節目のイベントに来てくれるというのは嬉しいことじゃないでしょうか?そう思うからこそ親御さんも入学式などに出席するのでしょう。(中には「うっとおしい」という子どもの意見もあるかもしれませんが・・・) 

そうであるならば、教師自らがその手本を示すべきという見方はないのか。生徒たちの中にはいずれ親になる子がいます。教師自らが親として子どもを愛し自分の子どもの大事なイベントや一大事には駆けつける。そういう手本を見せるべきではないでしょうか。
「私は子どもより仕事を優先します」みたいな人に家族の大事さなどを語られても胡散くさくて仕方ありません。(しかもそれが自分が主演の舞台などではなく、自分がいなくても回る入学式みたいなイベントで)


寛容な人に育ってほしくないのか?

こういう「家族のことと仕事」のバッティングにおいて家族のことを軽視する風潮はものすごく悲しい。
「子どもが生まれた」「今日は子どもの入学式」「今日は子どもの晴れの大舞台」「家族に不幸が…」「子どもが高熱を出して…」

そういった事情があった時に仕事を休んでいい社会仕事を休むことが許されない社会のどちらが好きなのでしょうか。私は断然に前者です。家族などを大事にする社会であってほしい。子どもの入学式ですら休暇を許されないような社会なんて…

「教師の仕事は大事?」
そんなの糞くらえです。入学式ごとき担任がいなくたって大した影響はないし、連日休むわけでもない。
そんなことに目くじらを立てるような社会は嫌ですし、子どもがそんな不寛容な人間に育ってほしくない。
民間企業勤めにしろプロスポーツ選手にしろ教師にしろ、同僚に家族の大事なイベントがあると言ったら「仕事のことは気にするな。おれたちで何とかしておく。よし、行って来い。」と笑って送り出せるような人に育ってほしい。


「教師は聖職者」と言うならなおさら文句言うな

「教師は聖職者なんだから…」と文句を言う人もいますが、教師を聖職者と思うならなおさら文句言うなという話です。「教師は聖職者なんだから…」という人たちはそもそも教師に対する尊敬がありません。
聖職者の位置づけを理解して言っているのでしょうか。かつての教会の権力は絶対的なものであり、聖職者は特別な存在です。一市民が簡単に批判していいい対象ではありません。
今でこそそこまで露骨な宗教による支配はありませんが、それでもそう簡単に聖職者に対する批判をしていいものではありません。
近年、カソリック教会での性的虐待事件が大騒ぎになりましたが、現代でもそれほどまでになってやっと批判が…というレベルです。聖職者はおいそれと批判していい対象ではありません。
教師が聖職者だというのであれば、子どもがレイプされたり殺されたりしたわけでもないんだから、なおさら教師のやることに口を出さず黙って尊敬してろと言いたい。


※関連:タクシー運転手にキレるのはちょいと違うんじゃないかな
※もちろん、子どもを持つすべての学校の先生が仕事よりも子どもの入学式を絶対優先しろ、という話ではありません。


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